2007 年 12 月 14 日 : 創造
他の業界でもそうかもしれないが、ソフトウェア開発企業には2つのタイプがある。
それは製品開発型企業と受託開発型企業である。勿論、製品開発と受託開発の両方をする企業もある。
当社は創業以来ずっと前者の製品開発型企業であることを貫いている。さらに、製品はすべて英語化し、世界中どこでも利用可能なようにしてリリースしている。
ソフトウェア開発企業のタイプは2種類、その混合型を含めればたった3種類しか存在しないのだが、一般にソフトウェア開発企業が100社あったとして、製品開発型企業というのは確率的に1社以下ではないかと思えてしまう程に少ない。
それ故に、製品開発型企業は特殊な存在であり、興味深いのではないだろうか。
何故ソフトウェア開発企業の大半の経営者は受託開発型企業の道を選択するのか?
その答えは言うまでもないだろう。しかし、他の企業を貶めてはいない。
逆にどうすれば、製品開発型企業というものは未来に向かって生き残る術を獲得できるのだろうか?というようなことを創業以来自問自答しつつ現在に至っている。
製品を創造するのだから、進化して行くモノを創りたい希望がある。
だがそれは潜在的なユーザーがその製品に抵抗することを意味する。
一般にインパクトが大きければ大きいほど、それに比例した慣性力が働くからである。
全く新しいモノにして普及させるためには、異次元の世界にいるかのごときの発想で、感性を働かせそして行動することを強いられるように思える。
ベンチャーの資源は限られる。チャンスは一度切りと考えた方が良いかもしれない。
そういった背水の陣に自分を追い込む姿勢が何かを創造させてくれる気がする。
大企業などの安定した組織で生きていれば得られないような緊張感があり、そうでなければ決して得られなかった発想が自然と生まれ何かが起こるような気がする。
映画や音楽、ゲームなどと同様にソフトウェアビジネスも世界的なスケールでひろがってゆく夢の可能性を秘める存在である。
チャンスが訪れるのはほんの一瞬かもしれないが、長期的なスパンで見れば意外と競争は少なくて前途洋々としているのかもしれない。
10年、20年、30年、・・・長きに渡るあしたを確信もって見通したい希望を抱きつつ過ごす今日この頃である。
2007 年 06 月 15 日 : 携帯にもXML
最近、最も力を入れて研究開発しているのは、携帯電話で XML を処理するためのインフラの構築である。
XML とは、異なるシステムやソフトウェア間で情報を交換するためのデータ標準化技術。
世界中に氾濫する膨大な情報が XML で表現され、それらの情報を交換する手順(プロトコル)も XML で記述されるようになった。
企業の情報システムに限らず、Google、Amazon、News、… 様々な情報が、 XML という技術を使ってネットを駆けるようになってきた。
しかしながら、携帯電話からそれらの情報に簡単にアクセスできる術は無きに等しい。
携帯電話でそれが実現できれば、ネットに繋がった情報によって、新しいジャンルのアプリケーションも生じるかもしれない。
そして携帯で XML を実現すれば、ネットに繋がった多種多様なコンピューターを携帯電話から自由自在に操作できる新しい世界がひろがってゆくだろう。
2007 年 01 月 30 日 : バベルの塔でない共通の言語
創業した当初は、スタッフの国籍は全員日本であった。
いまやスタッフの半分は海外の国籍を有する。特に研究開発部に至っては 8 割が海外の人材であり、寧ろ日本人は少数派の部類に相当するようになった。
世界で通用するハイクオリティなソフトウェアをアウトプットする。ただその一点の目標を達成するために行動した結果、自然とそうなったのである。
ゆとり教育が影響しているのか、あるいは日本の中学や高校では、プログラミングについての教育が等閑になっているのか原因は定かでない。
確かに言えるのは、超一流のソフトウェアを世に送り出せる人材は国内だけでは得がたくなったということである。
逆転の発想をするならば、世界から人材を募ればそんな想いの達成される確率はアップするのだろう。
スタッフが操れる言葉は人それぞれ、日本語、中国語、英語、フランス語、ドイツ語、ルーマニア語、ヒンディー語などさまざまである。
オフィスやメールでは多様な言語でコミュニケーションが交わされる。
研究開発部は、大半が国籍が違う者同士でのコミュニケーションなだけに、苦労が偲ばれていたが、意外にもコミュニケーションはうまくいっているようである。
何故なんだろうと思って気付いたのは、唯一お互いに理解し合えている言葉の存在であった。
それは 「C++」 というプログラミング言語である。
「C++」 というプログラミング言語によって記されたコンテンツは理解し得るものであるらしい。
超一流のソフトウェア製品とは、世界中の人々に利用されることを着地点に置いている製品であって、そのために日々ソフトウェアの研究開発に明け暮れている。
それが目指すのは、携帯電話のような情報端末向けのソフトウェアを C++ 言語で表現できるようにする辺りにあることが興味深くもある。
2007 年 01 月 18 日 : ソフトウェアという名の商品
ソフトウェアは、質量も重量もゼロ。
カタチすら無い。
高度情報化社会ではこんな商品が多い。
どうすれば、はっきりと実体が見えないモノの価値を的確にプレゼンテーションできるのだろう?
世の中には、オークションで高値で売買される名画のように、如何様にでも高く値付けされるものもある。
逆も然り。むしろブロードバンドネットの普及によって情報は氾濫し、その価値はいっそう逓減するようだ。
情報は、一生を費やしても遥かに接しきれないほどネットの向こう側にある。
そんな状況だから、ソフトウェアをネットだけで販売する難しさを痛感する。同時に、これほどまでに遣り甲斐のある仕事も少ないのではないかと思っている。
創ったソフトウェアが売れなければ、事業の継続は叶わない。
何故、お客様は僕たちのソフトウェアを購入されたのか。そしてその理由はずっと変わらないものなのか。変革が現れるとすると何を契機にしてそれは発生しうるのか。
シミュレーションしてアクションし、フィードバックから更なるシミュレーション …。
サイクルを何度も何度も繰り返す。
カタチの見えぬソフトウェア事業はそんな風にして進化発展を遂げるのかもしれない。
2006 年 06 月 29 日 : 検索エンジンにおける人と時間と空間の軸
ソフィア・クレイドルが関わっているビジネスで、最も重要なキーワードの一つが ” BREW ” である。
” BREW ” をキーにして Google で検索してみると、タイミングによって変動するけれども、約 37,700,000 件中 の 6 番目と 7 番目の位置にソフィア・クレイドルのページがある。
最初から、このポジションにあったわけではなくて、Web 制作のとき、コンテンツの質と量において様々な創意工夫が功を奏しての結果なのだろう。
最近、” BREW ” をキーにしてた Google での検索結果の 1 ページ目を何度も何度も眺めていて、あることに気が付いた。
それは 1 ページ目に表示される、Web サイトの顔ぶれに変動がほとんどないという現象である。
逆に言えば、実は 2 ページ目以降に控えた、膨大な Web ページの中に、検索エンジンを使う人が真に探し求めるものが隠されているのではないかという考え方もできる。
Google の検索結果を見ていると、何年間も何のアップデートもなく、もはや情報価値が消失してしまったといえるようなページが 1 番目に表示されている例も珍しくない。
いま、BLOG で情報発信する人が急激に増え、インターネットにある情報は玉石混交であり、一体どの情報が自分が必要とするものなのかが難しくなってきているのではないだろうか。
検索した結果、たまたま上位に表示されている情報を読んだだけで、すべてを分かったつもりになっているかもしれない。本当は、その後に表示されている情報の方がもっと価値があるのにもかかわらず ・・・ 。
実際のところ、これだけネット上に情報が氾濫している状態では、検索エンジンにしても情報発信にしても、新たなアプローチを組み込む必要性が高くなってきている。
携帯電話はフルブラウザや GPS などが標準で搭載されたりして、今後ますますネット端末としての地位を高めて行きそうだ。
元々、携帯電話はパーソナルなもので、家庭や職場で共有して使うものではない。誰がどうしたというのを特定できるツールでもある。
その携帯電話に GPS が標準で搭載されれば、特定の人物が何処でいつ何を情報発信したかという属性を情報に持たせることは可能である。
情報に時刻と場所と発信者という属性を自動的に持たせて、検索エンジンも単なる「キーワード」だけの検索機能をそういった軸にひろげてゆくことで、氾濫する情報の波をある程度まではうまくコントロールできるかもしれない。
そして、膨大なデータの山に埋れていた、ダイヤモンドの原石といえるような希少価値のある情報を組み合わせることで、新たなる価値のある情報が生成されるかもしれない。
指数関数的に増殖し続けるネット情報をいかにコントロールするかで、次世代の検索エンジンは自然淘汰されるし、Google を遥かに超えるものが誕生する余地も充分あるに違いない。
2006 年 06 月 21 日 : Connectivity
オープンソースという言葉がITの世界で流行っている。
けれども、この先、ソフトウェア産業の発展を望むならば、オープンソース以上に大切になってくるコンセプトというものがありそうな気がする。
それは「コネクティビティ」というごく有り触れた考え方である。
オープンソースは、ネット上にソースコードを公開し、さまざまなプログラマがソースコードをシェアながらソフトを開発してゆくアプローチである。
ひとつ疑問に思うのは、ソースコードをシェアすることが果たして本当に生産的かどうかなのだ。
プログラムというソフトは日本語や英語と比べると、プログラマーによって記述される内容は厳密そのものであるが、その意図を理解しようとするならば少なからず苦痛や努力が伴うものである。
ソースコードを読んでワクワク&ドキドキな体験をする方が稀と言えるかもしれない。
オープンソースのアプローチでは、少なくともソースコードを理解するための時間と労力が非生産的なのではないだろうか。
勿論、自分より才能や能力のある人のソースコードを読むことで自分のプログラミングスキルを伸ばすという有意義な一面もあるけれど、それはオープンソースの主たる目的ではない。
オブジェクト指向のカプセル化、日本語では「情報隠蔽」なる言葉で翻訳される概念こそが重要ではないかと思う。
それはソースコードをオープンにするのではなくて、寧ろクローズなものとし、必要なアプリケーションプログラミングインターフェース(API)のみを公開するというアプローチである。
今現在、"Web 2.0" というキーワードで説明されるインターネット業界は、この方向に動いているような気がする。
インターネット上のデータベースをアクセスするための API を公開し、ネットの人々が自由に使える世界である。
データは何も商品やニュース、個人情報に限らなくとも良いと思う。
プログラムも一種のデータであり、それらの API がひろくネット上に公開され、かつあらゆるプログラム間で自由自在に接続可能となり、そのバリエーションによってアプリケーションがインプリメントされるとすればどうだろうか?
同じ種類のプログラムモジュールを複数の人間でシェアして開発するよりも、その人が世界一才能を発揮できる分野のモジュールを一人で開発し、同じようにして創られた他のモジュールを接続しながら動作する世界の方が躍動感がありそうだと感じるのは僕だけであろうか。
オープンソースの先にあるもの。
それは、プログラムを構成するモジュールが自由自在にネット上にあるモジュールと柔軟に、そして簡単にコネクトできる世界である、と感じる。