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Sophia Cradle IncorporatedPresident Blog : Vision

2007 年 09 月 20 日 : ソフトウェアの威力

総務省「モバイルビジネス研究会」の最終報告書案によると、もう数年もすれば、携帯電話も従来の電話機と同様、電気店で購入して自由に携帯電話会社を利用者が選択できるようになるそうだ。

弊社にとっては、携帯電話向けソフトウェア製品を開発しているので、このオープン化のトレンドは大きなチャンスと言えるのかもしれない。

ソフトウェアは、ハードウェアと比較して姿かたちがないので、それ故、捉え難い概念の一つと言えるだろう。

ソフトウェア無くして、ハードウェアの存在価値も決して有り得ないのだが、その目に見えぬ性格が災いしてか余りにも過小評価されている気もする。

それこそがベンチャービジネスとしてのチャンスの要因でもあるのだが ・・・。

ハードウェアの世界では、18 ヶ月毎に半導体の集積度が 2 倍になるというムーアの法則が 2020 年頃には限界を迎えるかもしれないというゴードン・ムーア氏の発言が最近の話題でもある。

けれども、ソフトウェア業界では、それに類似するような法則はいまのところ存在しないのではないかと思うようになった。

半導体に相当するものは、ソフトウェアにおいては、プログラミング言語であったり、ライブラリであったり、フレームワークであったりするのかもしれない。

そういったものが仮に従来より、 2 倍、3 倍以上のパフォーマンスを発揮するとすれば、どんなシナリオができるだろうか?

同じ機能を果たす携帯電話が、 2 分の 1、3 分の 1 以下のハードウェア コスト、サイズで実現できることを意味するのである。

利用者が選ぶのは、性能面以外にデザイン的な要素など、様々な側面があるのも事実である。

しかし、携帯電話メーカーが今後生き残っていくためには、従来のソフトウェアを何倍も上回るソフトウエアテクノロジーの革新なくして有り得ないような気がする。

  

2007 年 08 月 23 日 : クラシカルなソフトウェア

427 ファイル、テキストだけで 15 メガバイトにも及ぶ大量の HTML ファイル(製品マニュアル)を駆け足で英訳してきたためか、まだまだ改善の余地がたくさんある。スタッフがまず翻訳した英文を推敲につぐ推敲で、文章の洗練化を図る日々が相変わらず続く。

『クラシカルなソフトウェアを創造する』のが、事業の最大の目標であり、目的でもある。

"classic"を辞書で調べてみると、"judged over a period of time to be of the highest quality." とか、"a work of art of established value." などの説明がされているが、そんなイメージのソフトウェアを創り出せるかどうかなのだ。

短期的ではなく長期間に渡って永続的に最高のクオリティを維持し続けるソフトウェアは、どうすれば生み出せるかという問題である。

ベンチャー業界では、時間を金で買うというような発想で、多くの資金を調達し、必要な人と物を集めて短期間で事業計画を達成するという考え方が大勢を占める。

けれども、歴史を振り返れば、何百年にも渡って生き永らえる「クラシカルな芸術作品」が金で創られた話はほとんど聞かない。そんなものを創造するには、何か別次元の座標軸から世界を眺める必要があるのではないだろうか。

些細なことなんだけど、フィーリングがなんとなくでも合わないところがあると、すぐに改善して行く。そんなサイクルを延々と繰り返している。

自己の感性を深く信じて、これまで 5 年以上もの時間をかけて研究開発してきたものの最後の仕上げを成し遂げたいと願う。

  

2007 年 07 月 02 日 : ソフトウェアの進化

DNA はデオキシリボース、リン酸、塩基という物質から構成される。

地球上のすべての生命が持つ DNA の基本的な構成要素はこれだけに過ぎない。DNA を調べるだけで取り違えされないでそれがどんな生物であったのか分るらしい。

それがどんな風にして生まれ、発展したか知る由もない。けれどもそこには想像し得ないほどの長い歴史があって今日へと至った。

コンピューターの世界も、最小単位は 0 と 1 という本当にシンプルな要素から構成される。そんな基本要素からさまざまな用途に応用されている。地球上の生命ほどでないにしても、それは個人的には生命の発展過程に極めて類似しているようにも思えてくる。

果てしなく続く時の流れの中で、数多くの生命が生まれては消えていった。

何故絶滅した生物の種があって、今日まで生き残ったものもあるのか?

いろんな管理などの要因もあるかもしれないが、生命の設計図と言われる DNA がどんな構造していたのかというのが大きな決め手になったようにも思える。

ソフトウェアの歴史はまだまだ浅く、ソフトウェアそのものを一元的に特定する DNA そのものは存在しえない。けれどもソフトウェアというものは、設計して、プログラミングして、完成するものであって、どんなソフトウェアにも設計図は存在する。

生物の種と同じく、個々のソフトウェアも生まれて消えの連続である。

貴重な時間を割いて創ったものだから、願わくば長く生き残ってもらいたいものである。

そんな思いでいつも仕事をしているわけだが、その願いを実現するためのヒントは DNA にあるように思えて仕方ない。

今のところ、様々なソフトウェアを特定するための DNA のようなものは存在しない。

すべてのソフトウェアに共通する設計図に相当するものがないということである。

生物の DNA には何億年にも渡って生存し続けられるほどの情報が記されているが、ソフトウェアにもそれほどのものが存在したときに、きっと変革は現実のものとなるだろう。

  

2007 年 01 月 11 日 : インターネット・コミュニケーション

京都のビジネス街と言えば、四条烏丸あたりだろうか。

ここから 3 キロしか離れていないのだが、河原町界隈には食事のためによく出掛けるけれどビジネスで立ち寄ることは滅多にない。

でもビジネスでは北米、南米、中国、ヨーロッパ、インドなど世界中のお客様とのコミュニケーションは、日を追うごとに加速感がある。

なんとなくパラドックスのような気がしなくもない。けれども想像も及ばない新しい世界がそこにある、と確信している。

いまや半分くらいは海外の国籍を有するスタッフで構成されるようになってきた。

2〜3年後には、大半のスタッフは日本人以外であるような、インターナショナルな企業になるんじゃないかと予測している。

さまざまな人たちとアイデアをスパイラルさせて、かつて誰も見ることが無かった夢のある未来を創るのが目標でもある。

  

2006 年 06 月 23 日 : Predict the future

矛盾するように思えるかもしれないけれど、実は 1 〜 2 年先よりも 50 年後、100年後といった遠い未来の方がイメージしやすい。

1 〜 2 年先が読み難いとはいっても、これはベンチャーに限っての話で、大企業の場合は寧ろ遠い未来が見えないというのが真実なのだろうか。

昔、大企業に所属していた頃は、来年、再来年 ・・・ の自分はだいたい見通せた。

ベンチャーを創めた当初もそんな雰囲気でいたけど、良きに付け悪しきに付け 1 年前の予想と実際は大きく食い違っているのが実態とも言える。

けれども、何十年先とかいった長きに渡る未来の領域を展望するならば、その枠内に収まっているから実際のところ不思議ではある。

50 年先の未来はどのように想い描けば良いのだろうか、と思われるかもしれない。

以前の日記にも記したが、僕のイメージの仕方というのは 50 年先の未来は 50 年前の過去に遡って発想するという類のものだ。

そんなイメージトレーニングで確かだと分かってきたのは、これからの未来で重要な事柄は、間違いなく下記の 3 点に集約されるということだ。

  1. デザイン
  2. オリジナリティ
  3. ワールドワイド

言うまでもないことかもしれないけれど、昔と比べて人々の装いはファッショナブルであるし、建物もなんとなく洒落たものが増えてきている。

また、他人と違うことが称賛される時代になってきた。日本人の活動も、プロフェッショナルなスポーツに限らず、様々な分野で世界的に顕著な成果が毎日のように生まれている。

けれども世の中をよく観察してみると、デザインされてないものは多いし人の物真似する人も後を立たない。世界に向けて情報発信する人も少数派だ。

そんな状況を踏まえて考えるならば、デザイン、オリジナリティ、ワールドワイドといった 3 軸で繰り広げられる未来の空間は依然として未開拓のままであり、僕たちベンチャー企業が入り込める余地は無尽蔵にあることを意味する。

ベンチャーはニッチを目指すのが常道とされるけれど、顕在化されているものがニッチであるに過ぎず、それはあたかも氷山の一角に等しい。

50 年後に姿を現す、氷山の全体像を如何にしてリアルな映像としてイメージするかが問われるだろう。

  

2006 年 06 月 16 日 : Revolution

デジタルな情報はコピーしても劣化しない。

それ以上でもそれ以下でもない。

概念的には、デジタルなものは数字に置き換えても良いわけで、○なのか×なのか客観的な評価が下される対象でもある。

だからこそ心して掛からねばならないことがあると思う。

それは、世界中がネット接続され、デジタルな情報を光速のスピードで取得できる環境下では、同じようなものならば最も優れたものがひとつだけあれば充分かもしれないという事実である。

インターネットが普及する以前は、ベストと言えなくてもそこそこ良ければ何とかなっていた。

けれどもインターネットが急速に発展した今では、極端な話ではあるが、最も優れたものにだけレゾンデートルを見出す時代へと移り変わりつつある。

安易なモノならば、瞬時に自然淘汰されるという厳しい一面があるものの、裏を返せば、妥協を許さぬ究極に秀でたるオンリーワンにしてナンバーワンなものであれば、一気に世界を席巻し時代を変革する可能性もゼロではない。

ほんの僅かかもしれないが、そんなところに無限の可能性を感じとれる。

  
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