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President Blog : Sophia Cradle Incorporated

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2006 年 01 月 15 日 : エコロジカルな発想

エコロジーがトレンドの 21 世紀。

そんな時代だからこそ、大切な発想は小さいけれど驚くほど速いというソフトウェアの実現である。

ポケットに入れて持ち運びできる、携帯端末向けソフトウェアのインフラに関する研究開発。

これがいま最も力を入れて営んでいる事業。

携帯端末に組込まれたハードウェア資源は、パソコンと比べれば桁違いに制約条件が厳しい。

けれども、そんなにも厳しい世界だからこそ、かえってある意味でオーソドックスながらも新しい発見がある。

それは何かといえば、パソコンも携帯端末も、ジョン・フォン・ノイマンという人物が発明したコンピューターの基本原理に従って動いているという事実である。

ソフィア・クレイドルで研究開発しているソフトウェア技術は、パソコンにも適用できる代物なのだ。

近い将来、ソフィア・クレイドルのソフトウェア技術を使えば、旧式パソコンでも最新式のパソコンと同じ速度で利用できる日がやって来るだろう。

ハードウェアの分野では、我先にと皆が競うようにして省スペースや高速化に関する研究に熱心に励んでいる。

しかしソフトウェアの分野では、如何にして小さく速くそして美しくプログラミングすれば良いかと徹底的に追究する者はほとんどいない。

事実上競争という概念が無いに等しい。

自ずと世界 No.1 なのだ。

ベンチャービジネスのチャンスはそんなところに潜んでいるのではないだろうか。

2006 年 01 月 14 日 : 逆光に輝くもの

逆光による撮影では被写体は黒ずんでよく見えない。だから通常は逆光を避けて撮影する。

ネットで調べると、逆光の中にある被写体をうまく撮影するテクニックもあるらしい。

広葉樹の葉を逆光で撮ると、透き通るような緑の美しい葉が撮れたりもするという。

ベンチャー経営もなんとなくそれに似ているなと思った。

世界広しといえども、ソフィア・クレイドルと同じ事業を営んでいる企業は見当たらない。

敢えて逆光が射すような事業を選択したのだから、当然といえば当然なのではあるけれど・・・。

たとえるなら、これはある種の不治の病の治療法を探究している医師の姿に近いかもしれない。

仮に治療法が発見された時、その難病に苦しんでいる世界の人々の喜びは如何ほどか想像に難くない。

そんな風に、僕たちの事業が世界の人びとに受け入れられるのは想像するだけでも愉快なことである。

2006 年 01 月 12 日 : 象牙の塔

いつの間にかベンチャーを立ち上げて、何か新しくて世の中に役立つものはないかと探し求める日々が続く。

昔は大学みたいな研究機関で、研究者として一生を過ごす選択肢を目指したこともあったのだが …

分岐点がいつだったのかはっきりと答えることは叶わない。けれども、ひとつだけ確かなことは、僕にとって大学は象牙の塔だった、ということである。

何となく現実社会から遊離していて、ひとつの研究に人生を捧げたとしても、真に社会に貢献できるだけのアウトプットを創造しえるか疑問だった。

いまから思えば大学へ通う必要も無かったのかもしれない。でも、今日あるのは、大学で様々なことを学んだ礎があるからだろうということで肯定的に考えている。

日本では中学から大学に至るまでの長きに渡って英語教育がなされる。けれど、それだけで英語が完璧に話せる人に出会ったことはこれまでに一人もいない。

実際に生活で英語を使うためには、必然的に英語が使われる場に身を置くのが最も効率的であり、効果的でもある。

大学で学んだり研究している学問もそれに似ているのではないか。

大学の中だけに閉じるのではなく、実際に大学で学んだり、研究している内容を現実の社会で実践的に試すというアプローチが必要であると思う。

僕が経営するソフィア・クレイドルというベンチャーは、そんな大学のアカデミックな雰囲気を併せ持った企業というのを理想にしている。

常に新しい発想で何かを創造し、実践し、真に世の中で使われるものをかたちにしたいと願っている。

2006 年 01 月 11 日 : 全力疾走の後

誰しも滅多に経験しえない出来事に遭遇して感動したり、感激したりすることがあると思う。

願わくば、僕たちの仕事も人々の胸を揺さぶるような感情を創造するようなものでありたい。

そんな場面は日常生活において滅多に出会えるものではないから、それだけの付加価値があるのだ。

感動や感激を創り出す秘訣って一体全体どこにあるんだろうか?というような問い掛けはベンチャー起業家としての宿命かもしれない。

僕はこんな風に考えている。

要するに人を驚かすためには違った角度から世界を眺望しなければならない。人と同じような視線からは当たり前の平凡なモノしか見えない。

違った視線といってもほんの少しでいいのがミソなのだ。

例えば、2 メートルの高さの壁があったとする、2 メートル以下の身長の人には向こう側は何も見えないけれども、台の上に乗って視線が 2 メートルを超えれば向こう側の景色も目に入ってくる。

仕事の例で言えば、こんな感じであろうか。

身体がもう動かないほどヘトヘトになるまで 8 時間集中して全力疾走して働いてみる。その後、どのような行動に出るかがきっと運命の境界線となるだろう。

大抵の人はそこで仕事を終えてしまう。

ごくわずかだけれども、ある人は人の限界を超え、そのまま続けて仕事をする。

そんな習慣を継続するうちに、ある日突然新しい視界が彼もしくは彼女の目前にひろがる。

それは普段目にしない光景だけに感動や感激といった尊いものへと繋がってゆくだろう。

2006 年 01 月 09 日 : 波紋

遠いようですぐ近くにある少年時代の日々。

遥か向こうに見える川岸めがけて、小石を何度も何度も投げていた。

水面を石が何度か飛び跳ねて駆け抜ける時に、ダイナミックに出来上がってゆく、いくつかの同心円状の波模様。それらには飽きるのに困らないほどのパターンがあった。

石を投げる時のスピードや角度、石の形によって、実に多様な波紋を観察できたのを覚えている。

あたかもその瞬間に抱いた"思い"がそのまま様々に水面に映し出されるかのようだった。

同様に何度も繰り返される、単純そうに見える日々の仕事も、なんとなくそれに似ていると思えてくる。

近くからは全貌を知ることが出来ないのだけれど、改竄されない限り、遠くからはかえってはっきりと見えてしまうということである。

僕たちの外界と接触する最初の仕事は、創ったソフトについて伝えるべきメッセージをかたちのあるものに表現して、それをネットという空間に向けて投げかけるというものだ。

そのとき、ネットに映し出される波紋の美しさは、単純そうに見えるメッセージであったにしても、それに込めた"思い"によって天と地ほどの開きがあると思う。

間違いなく、メッセージに込められた"思い"はそれを読む人にダイレクトに伝わる。

2006 年 01 月 08 日 : First impression

初めて観たり、聴いたり、触れたり、味わったり・・・。

そんな時、人が本能的に悟る "first impression" ほど大切にすべきものはないと思っている。

なぜなら、生き物としての本能は「何が本物で何が偽物か?」を正しく判断する才能だから。

それでは、人が "first impression" で悟るものとは何か?

テレパシーというか・・・。

なんとなく人々は心と心に絆があって繋がっているような気がする。

見えない絆によって、何かに初めて触れた瞬間、それが創られた時のオモイ("思い、思考"と"想い")を、心は素直に感じ取る。

生活のための割り切って働いた結果生まれるモノ、夢と希望を持ち自分の限界のチャレンジした結果生まれるモノ、・・・

モノには生まれることになった背景が必ずある。

そこにあるオモイ(思い/想い)は隠しようがない。

モノを見た瞬間、人の心はそれを敏感に悟る。

機能は全く同じなのに、売れるものもあれば、売れないものもある。

その差はどこから生まれるのか?

それは、何かを創造する時、夢と希望に満ちた、無限の可能性を秘めたオモイをどれくらい注ぎ込んだかで運命付けられるだろう。

陽水の「カナディアン アコーデオン」という詞に、

 "無数に舞い散る粉雪が風を形にして見せる"

という美しいフレーズがあるけど、人によって創られたものはそんな風にその人の"思い"を形にしたものなんだと思う。 

2006 年 01 月 07 日 : 何億年もむこうから

人生五十年
化転のうちにくらぶれば 
夢まぼろしの如くなり 
一度生をうけ 
滅せぬもののあるべきか?

1560年6月12日(永禄3年5月19日)、歴史を変えた"桶狭間の戦い"の直前に、織田信長が舞ったと伝わる、幸若の舞「敦盛」である。

真偽は定かじゃないけれど、150 億年といわれる広大な宇宙の歴史からすれば、僕たちの人生って、ほんの一瞬の些細な出来事に過ぎない。

仮に 150 年生きることができたとしても、宇宙的視野から壮大に眺めれば 1 億分の 1 なのだから …

たとえ短い人生でも何か足跡と呼べるものを残すことができれば、凄い、素敵、最高だね! という思いへと繋がってくる。

眩い都会の夜景からは星影を望むべくもないけれど。

遥か彼方の宇宙空間から僕たちの地球に届く星の輝きは何億年、何十億年も前の瞬間的な出来事なんだという事実に愕然としたりする。

願わくば、そんな星の輝きに相当するような価値ある活動に人生を捧げたいものである。

2006 年 01 月 04 日 : アーキテクチャ

日本語で「設計思想」と表現される、「アーキテクチャ」の重要性は言葉では語り尽くせない。

ただひとつ確かに言えることがある。それは確固たる「アーキテクチャ」を持つものはライフサイクルが長く、ロングレンジに渡って発展し続けるという事実であろうか。

例えば、Microsoft の場合。1981 年にリリースされたMS-DOS の上で動く Windows が 1985 年に初めて登場した。その上で動作するアプリケーション Office は Windows のキラーアプリケーションとして、Windows の普及に一役買った。今日、Windows は最も普及している PC 向けオペレーティングシステムとしての地位を築き上げた。

また、依然として現在の Intel の CPU も 1980 年代前半のマイクロプロセッサ 8086 のアーキテクチャの流れを踏襲したものである。

IBM にしても、1964 年に発表した Sysytem / 360 のアーキテクチャの流れを組むコンピューターがいまもなお利用されている。ORACLE のデータベースを扱う言語は今も SQL である。

IT 業界において、普遍性のある「アーキテクチャ」を発見し、それを世界初の製品レベルにまで仕上げ、マーケティングに首尾良く成功することができれば、その後に控える航路は穏やかなものとなるだろう。

ソフィア・クレイドルでも、創業期における最も重要なテーマとして掲げているのは、組込みソフト業界において欠かすことのできない「アーキテクチャ」である。

それを確実に見出すためのヒントはどこに隠れているのか?ということから事業を創めた。

最も重大な問題は、いつまでも膨らみ続けるソフトウェア開発ニーズにどうやって対処すべきか?ということ。それから、ハードウェア資源は限られた中で、どうやって小さくてしかも速いソフトウェアを開発すれば良いか?という問題であった。

そのためのソリューションとして、そんなソフトウェアが開発できる、プログラミング言語、データーベース、圧縮ツール、プロファイラーなどの開発環境を「統一されたアーキテクチャ」の下で研究開発している。

2006 年 01 月 04 日 : 自信

小さな出来事なら自信を持ちやすくて簡単に成功できる。誰もがそんな経験を持っていると思う。

人生を左右する一大事の場合、同じように自信を持って挑めるだろうか。

そういう時にこそ、急に道が拓けたり晴れたりして、今まで気付かなかった新しい偉大な才能が開花するのかもしれない。

多くの人は人生の一大事の場面に遭遇すると、権威あるものについ頼りたくなる。自分の力だけでそれを乗り越えることが千載一遇のチャンスだったかもしれないのに・・・。

個人にしても企業にしても、多くの人びとが権威ある大企業の傘下に入って働く道を選ぼうとする。その方が自分の才能をフルに発揮できるならそれは良い選択である。

スポーツでもプロフェッショナルな世界で超一流といわれる選手は、厳しいトレーニングの結果として彼或いは彼女の栄光があるのだと思う。

日々の仕事の場も同じ事が言えるのではないか。困難があるならそれを乗り越えようと努力する。

その瞬間、瞬間に、新しい才能が開花してゆく。それが成長の軌跡であると思える。

「夢はかなう。思いは実現する」

思い通りの成功の軌跡が描けるかどうかは自分へ自信の度合いで決まるだろう。

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2006 年 01 月 01 日 : 必要なこと

東証一部に上場しているなかでも、年商 1 兆円を超える巨大企業が 21 世紀という新しい時代をどのように変革し、乗り越えてゆくのか、経営者として興味が尽きない。

大抵の企業は営業利益が 10 % あれば優良企業である。20 % もあれば超優良企業と称されて世間から絶賛される。

いま考えるべきは、 1 人当たりに換算した場合、いろんな数字はどうなのかということだと思う。

話を簡単にするために、企業のすべての費用を社員数で割った 1 人当たりの費用が 1000 万円であったとする。この時、大雑把ではあるが営業利益 10 % をあげるためには、1 人の社員が平均 1100 万円の売上をあげれば良いことになる。

大企業であればあるほど、ノルマともいえる 1100 万円の売上をあげた時点で、数字に満足しそれ以上の努力を怠る傾向が強いのではないかと思う。これが巨大化した組織の致命的な弱点ではないだろうか。

ベンチャーはそんな隙間にチャンスを見出して、新しいビジネスを創造できる点に特色があるといえるだろう。

ソフトウェアビジネスの場合、原価は無きものに等しいので、1 人当たりの売上が 2000 万円になっても経費は 1000 万円と見なせる。営業利益の観点から言えば、売上は従来の巨大企業の 2 倍に過ぎないけれども利益は 10 倍なのである。

販売チャネルをネットとコンピューターで自動化し、世界から受注できるシステムを構築し正しく運用すれば 1 人当たりの売上に物理的な限界は無くなる。

この種のビジネスを成功させるためのコンセプトとは何か?ということについてよく考える。

僕の結論はこうだ。

ネット上における「集客」、「サイトのデザインとコンテンツ」、「ソフトウェア製品」、「アフターフォロー」について、世界の同業のどのサイトよりも少しでも良いから抜きん出ている必要があるということだ。

そのためには、Web や 製品、お客様への対応に関して、人間の限界と言えるところまで全力を出し尽くして、駄目押しのようなもう一手が要求されるのではないか。

マラソンレースの 35 キロ地点以降、最後の力を振り絞ったものだけが栄光のゴールを駆け抜けるということが成功の要因になると思っている。

それでは、何故、マラソンのゴールドメダリストが、あんなにも苦しい思いをしてまでレースに参戦し見事栄冠を勝ち取れるのかという解答の中に、ある種のヒントを見出せるのではないだろうか。

自分の得意なジャンルで、好きだからそれをしているというのが、最もシンプルで重要な真理だと思う。

そういう感じで仕事ができるかどうかが偉大な成果を生み出すための分岐点となるだろう。

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