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Sophia Cradle IncorporatedPresident Blog : Venture Spirits

2005 年 01 月 18 日 : ケータイ用マウス

PC を遠隔操作するBREWアプリ〜東芝

iモード向け、世界最小フルブラウザ「Scope」が登場

MotorolaのiTunes携帯、約束のみで披露はされず(← iPOD のような携帯電話らしい。注目!)

最近、このような携帯電話向けの興味深いニュースが立て続けにアナウンスされている。

iモードが初登場した1999年以前ならば考えられない話のようにも思える。

パソコンが辿ったような道筋を携帯電話も進んでいるかのようだ。いまから、このビジネスに参入するとなれば、類似製品を開発して販売しようとしても徒労に終わる可能性が高いのではないか。時代が変わりゆくスピードは思う以上に速い。変化の加速度が増しているかのような錯覚に陥るくらいに。

着眼点や座標軸のほうを少しだけ切り替えて、その先にある未来を洞察することが肝要であろう。

例えば、昔はパソコンにもマウスが無かった。いまは当たり前のようにパソコンにマウスは付属している。この事実からヒントを得て、もし携帯電話にもパソコンのマウスに相当するような機器があったならば……、と想像することからいろんな独創的なアイデアというものは生まれてくる。

ハイテクベンチャーで仕事をする上での一つの発想法として参考になればと願う。

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2005 年 01 月 08 日 : Accelerate!

創業 4 年目を迎える。

創業した当初は、霧の中を走るような感じで未来のことをはっきりとイメージできなかった。でも、いまではだんだんとそれが見えるようになってきた。

やっていて分かったのは、未来は自ら切り拓き、創るしかないということだ。強く念じたことは時間を要しても確実に実現してきた。

最初は建物の基礎を創るような仕事が大半を占めた。大地震が来ても倒壊しないように、建物でも高層ビルになればなるほど、その基礎はしっかりとし磐石なものになっている。あるいは、メルセデス・ベンツのように完璧で安全な車を製造する過程もそうなのだろう。

基礎の上に、できる限り高く美しい超高層ビルを建てたい。だから、会社を創業してからずっと基礎固めを何よりも重視して仕事に励んできた。その基礎工事もようやく一段落する。

基礎を創るという仕事は、「売上」や「利益」といったように直接目にすることができないので、感性によって完成の具合を見極めるしかない。人によっては目隠しをされて自動車を運転するような不安感を抱くかもしれない。

これは、研究開発型ベンチャーが成長するために、乗り越えなければならない最初にして最大の難関なのだろうと個人的に思っている。

私たちがやってきたことは、本気になってやろうと思えばきっと誰もができることだろう。しかし、ゼロの状態からスタートし、確実な未来が保障されない中にあって、その努力を創める人も少なければ、継続する人はもっと少ない。ビジネスチャンスは、大抵こんなところにあるものだ。

最も大切なのは「アイデアを具体的な行動に結びつける」ということではないだろうか。

実際問題として、これができない場合が大半。だから、競争そのものがなくなって、そのレースに参戦しているだけで勝ち組になれる。能力や才能に自信を持てなかったとしても、それを創めた者は実地の体験や経験を通じて自己の潜在能力を開花し、ブレークスルーしてしまうのだ。とにかく、初めの第一歩を踏み出すのが肝心だ。

若ければ若いほど、人は自分の夢と希望を鮮明にイメージしている。無気力のようだとか、楽をしたいだけなのではないかと評されても、あるいは自らもそう思い込まされているだけ。本当は、潜在意識の中であっても、イメージをちゃんと持っている。だからこそ、実際にはいろんなアイデアを実現できるチャンスに恵まれている。けれども、それを実現する具体的な手段や進む方向が直ぐには分からない。

1 人でも夢と希望を共感するスタッフがいる限り、実現の可能性はゼロではなくなり、ゴールに向かって前進している。そのまま歩み続ければよい。

勇気を出して挑戦するだけで、成功する確率はぐっと高くなる。アイデアというものは、後から振り返れば、あんな簡単なことは自分でもできたのに!と人が悔しがって思うようなものばかりだ。

超高層ビルでいうところの、基礎を創る段階を越すと、次第にその先にある未来の展望が遥か彼方まではっきりとしてくる。ベンチャーをやっていてワクワク&ドキドキする瞬間の始まりでもある。

創業 1 年目は、ブランドも実績も、売るべき製品も無かった。少しばかりの資本金と志を同じくするスタッフたちだけだった。創業初年度と 4 年目のいまを比較すると、この 3 年間で大きな違いがあることに改めて気付く。私たち自身、これまでいろんな苦労や壁を乗り越える度に成長してきた。いまは過去に実績があり、しかも完成度の高い製品だって存在している。会社や製品のブランドも少なからずある。はっきりと確認できる「売上」と「利益」というものも毎月増加している。

ベンチャー起業というのは、苦しい環境にあっても、それを突破する過程において、自らの潜在的な能力を獲得、開花してゆくプロセスに近い。そのプロセスを繰り返す毎に、ベンチャーは加速度を増して急成長してゆくのではないだろうか。

根本を辿れば、結局は私たち自身そのものにあることがわかる。人間的な成長なくしてそれは達成し得ない。ある意味では、ベンチャーを創める意義をそこに見出すこともできる。

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2005 年 01 月 07 日 : 馴らされた鴨

この鴨の話はご存知だろうか?

デンマークの哲学者、キルケゴールの「馴らされた鴨」の話である。一度は耳にしたことがあるかもしれない。創業以来、公私にわたってお世話になっている先輩社長からも、IBMといえば「野鴨の話」で有名ですね、といわれ驚いたりする。

実は、IBMに入社したのが、この話を知るきっかけだった。そして、星の数のように、あまたこの世に紡ぎ出されし物語の中でも、この話が私の潜在意識に強くしみこんでいるらしく、未だにその印象を忘れることができないでいる。

それはこんな内容の話だ。

『毎年晩秋の頃になると、鴨の群れは食べ物を求めて南へと旅立っていった。ある日、その土地に住む老人がその鴨の群れに餌を与え始めた。すると、その年から、冬になっても、その鴨の群れは南へと飛び立たなくなってしまった。飛ばなくとも食べ物にありつけるので、その太った鴨たちは飛ぶことすらしなくなった。そして、その老人が亡くなり、その飼いならされた鴨たちは、食べ物を求めて自分の翼で飛ぶ必要にやっと駆られたが、もはや飛ぶことはできず、全ての鴨が死んでしまったという。』

この話に感銘を受けた、米国IBM社の二代目社長トーマス・ワトソン・ジュニアは、さらに次のような言葉を残している。

「野鴨は馴らすことはできる。しかし馴らした鴨を野性に返すことはできない。もう一つ、馴らされた鴨はもはやどこへも飛んでいくことはできない。ビジネスには野鴨が必要なのである。」

この話を忘れ得ないのは、IBM時代、入社間もない頃に聴いたからだろうか。だから、サラリーマンをしていた頃も、私は、少なくとも飼い馴らされた鴨にはなりきれず、自分というものを主張する、上司たちからすれば管理しにくい存在であったかもしれない。上司にとっては、入社してそんなにも即、トーマス・ワトソン・ジュニアの言う通りの飼い馴らされない鴨にならなくても、という気持ちであったことだろう。

ベンチャーを創業した今となっては、そのような精神でもってサラリーマン時代を過ごせたことはとても幸せだったと思う。

黙っていても、毎月決められた日に、自分の銀行口座に決められた給与が振り込まれるという「飼い馴らされた鴨」のような感覚で働く習慣がついていたとしたら、ベンチャーを創業したとたん倒産、もしくは廃業に追い込まれたことであろう。

独立するということは、毎月自分の銀行口座に決まった給与が振り込まれる生活から決別するということなのだ。自分たちが創った商品を買ってくださるお客さまを創造しない限り、自分の銀行口座にお金が振り込まれることはありえない。

お客さまを創造できなければ、あとは餓え死にするしかないのである。極端な話をするならば、ベンチャー創業とは生死を賭けた戦いとも言える。

しかし、逆の視点から、この事実を眺めれば、社会的に意義のあることを成し、たくさんのお客さまを、そして仕事というものを、無制限に創造することもできる。

そうして得たお金を、社会的に意義のある、より大きな仕事に投資することによって、スタッフたちと会社はぐんぐんと成長することもできるし、その収穫を社会に還元することも可能だ。

IBMで学んだこの貴重な言葉は、ベンチャー起業の支えにもなっている。IBMで働いて良かったと実感できる瞬間でもある。「馴らされた鴨」の話は、ベンチャーが偉大な企業へ成長するための道に通じる何か普遍的な話のように思える。

同じIBM出身者でも、このトーマス・ワトソン・ジュニアの精神を信じ、ここまで本気で実践し行動している者は少ないような気がする。ある意味では、このために辛く厳しい壁にぶち当たることもある。しかし、いつか長い人生を振り返る時に、これこそが人生を豊かに有意義なものにしてくれた鍵だったと回想できる日が来ることを願いたい。

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2005 年 01 月 03 日 : Amazing story

稀に「奇跡」と言いたいような凄い事実や光景を見たり、聴いたりすることがある。

そんな出来事は一体どういった背景があって発生するのだろうか?

たまたま起こった偶然に過ぎないのだろうか?或いは、起こるべくして起こったのだろうか?

それが起こる理由や原因というものがあったからこそ、「現実」になったのだと信じたい。

ソフィア・クレイドルというベンチャーを経営する起業家である。将来的には自社の製品が、世界のあらゆる人に、良い意味において大きな影響を及ぼすことを、できるだけ鮮明にイメージしている。

客観的に考えれば、創業して 3 年の会社がそんな壮大なことを成し得るのは、それこそ「奇跡」かもしれない。

ベンチャー起業家として、それを確率的に稀な話で済ますわけにはいかない。必然となるようにしなければならない。

無名の時から、ソフィア・クレイドルの製品を支持してくださったお客様への責任であり、製品の研究開発に、献身的に打ち込んできたスタッフたちへの責任でもある。

どんなに偉大な発見、発明、事業にしても、最初はゼロからスタートである。「不可能」はあり得ない。私たちにも偉大なことを成し遂げる資格はある。

自分たちの可能性を信じることはとても大切なことだ。

最初から諦めている人が多いのではないだろうか。歳を重ねる毎に夢も膨らませてゆきたい。

一般に奇跡的な出来事といわれるようなことを、達成する能力とは何なのだろうか?

こんなことを真剣に考える人は本当に少ない。実践している人となればもっと少ない。

成功者の大半は、偶然という要素よりも、そんな能力の追い風を受けて成功しているのが事実だ。

人間の意識には「顕在意識」と「潜在意識」がある。

「顕在意識」とは、ごく普通に私たちが「意識」と呼んでいるもののことだ。

「潜在意識」とは、私たちが意識しえない意識のことであり、呼吸や消化、循環などの人間が生きていくのに欠くことのできないことを司っているような、存在しているにも関わらず、はっきりとその正体が分からない不思議な領域である。

偉大なことを成しえるか否かは、自分の「潜在意識」というものに秘められた力を使いこなせるかどうかにかかっている、と思っている。

偉大な功績を成し遂げた人の書物や話では、大抵この話が出てくる。例えば、モーツアルトは、作曲するときに無意識に、頭に浮かんだメロディーを超人的なスピードで次々と楽譜に落としていった。

昔から、「潜在意識」という不可思議な実体に強く惹かれていて、いろんな書物を読みながら、どうすればその力を自分のものとすることができるのか、などと思いめぐらせたりしていた。

科学的根拠に基づいた、定量的な評価結果というものは存在しない。人の行動というものは全体の90%以上が「潜在意識」というものから生まれ、「顕在意識」によるものはほんの数%だという。

人間が自分で解明することさえできない、生命の仕組みを司っているだけに「潜在意識」の力は目に見えないくせにそんなにも偉大である。

通常、学校教育の試験などで量れるのは、「顕在意識」から生み出されるほうの能力であり、それは全体の意識からすれば氷山の一角に過ぎないことになる。

勿論、学業優秀だった人も偉大な業績を残すこともあるが、学業優秀であっても、社会に出ると平凡な業績しか残せない人は、意外にも多いのではないか。

逆に、学業面ではそんなにたいしたことないのに、社会に出たとたん大きな業績を出している人が案外多い。

いろんな人を見て思うのは、恐らく、成功している人の多くは、「潜在意識」というものをうまく活かしているのだろうという仮説を私は持っている。

「潜在意識」というものは、無意識な意識なのだが、それは「顕在意識」に認識されたものが自分の頭の中にイメージされるものらしい。

いわば、最初は自分の顕在的な想像力から始まるわけだ。だから、最初に「潜在意識」に込める思いやイメージというものは極めて大切だ。

どれだけ真に良きことを前向きに、イメージできるかできないかで、自分の人生そのものが決定付けられる。

これは一つの真理であると、あえて受け止めて、会社や自分や家族のことを、前向きにイメージして思い描くようにしている。

イメージが「潜在意識」に透徹するまでには、寝ても覚めてもそれこそノイローゼになるくらい、思いをイメージし続けねばならない。

簡単なことではなく、根気のいるプロセスである。

質や量の問題もあるけれど、これを実践しているだけでも、実践しない人生と比べれば、異なってくるのではないだろうか。

  

2004 年 12 月 23 日 : パンドラの箱

ギリシャ神話によると、パンドラは神々によって創られた最初の人間の女性だそうである。

パンドラは地上に降りるときに、神々からの贈り物である「箱」を持たされた。「箱」を開けることは許されていなかった。ある日、パンドラはその扉を開けてしまった。そのとたん、この世に存在するありとあらゆる災い、病気や不幸なんかが飛び出してしまったという。

パンドラが慌ててその扉を閉じたところ、その箱には一つだけ残されたものがあった。

それは「希望」だった。

パンドラの話で、感慨深いのは、箱には「希望」が残されていたこと。

「ベンチャー起業」は、ある意味では、「パンドラの箱」を開けるようなもの。どんな大企業で勤務していようと、サラリーマン生活を送る者の多くは、「ベンチャー起業」という「パンドラの箱」を開けてみようかと思うことがある。

ただ、それを開けたとたん襲ってくる、ありとあらゆる困難にどう対処していいか、分からないし、不安だから、ためらっている人が大半ではないだろうか。

「パンドラの箱」を開ける決心をしたのは、そこに残された「希望」というものの存在に、全てを賭けたからだ。

確かに、誰にも頼ることはできず、守られているわけでもなく、自分を信じ、自分を頼っていくしかない。けれども、事業をやっていて次第に分かってくるのは、「希望」というものがだんだんと大きくなってくるということだった。それを「感性」で感じ取れるのは生きている上で大きな喜びだ。

ベンチャー起業は人、資金、知名度、技術力等などすべてゼロからスタートするわけだから、既に長年その業界に存在している企業と互角に渡り合っていくのは並大抵のことではない。

「希望」を信じて、一歩一歩着実に成果を積み重ねていけば、知らないうちに驚くほどの大きな実績となっている。

最初はまったくのゼロだった。

今では少しは「ソフィア・クレイドル」という社名を知っていたり、聞いていたりする人がいる。有難いことに製品も売れている。尊敬でき、超一流といえるスタッフに囲まれている。ハードの設備、ソフトの環境も創業時よりもかなり良くなってきた。立派に自社のホームページも存在する。

何も無かった創業当初からすれば隔世の感がある、そう思う。

創業時は吹けば飛ぶような、泡のような存在が、今では立派に自立していることは、これまでの結果として評価できる。

全ては「パンドラの箱」に残された「希望」を信じた結果であり、この姿勢を堅持する限り、ベンチャーは弛まなく成長し、飛躍していく。

そんなときめきを予感する今日この頃。

  

2004 年 12 月 21 日 : Imagination

日頃お世話になっている方々から励ましの言葉をいただく。とてもありがたく感謝している。

ある方は「世界ナンバー 1 を目標にせよ」と、また、ある方は「大企業に少しでも近づくように」とおっしゃる。

この 2 通りの発言には、似て非なる大きな違いがあると思っている。

「大企業に少しでも近づくように」という発想で企業経営をしていれば、いつまで経っても零細企業であり続ける確率が高い。むしろ、既存の大企業を凌駕するくらいの勢いで、常日頃から大志を抱いて経営に励むことのほうが、永遠の企業へと近づける方法ではないだろうか。

思いもよらない幸運というのは、稀なことだからそういうのである。日常で起こっているほとんどのことは自分の思いの範囲内かもしれない。思いや夢、そしてビジョンを大きく描くことができれば、それだけ達成できることも大きなものとなる。

想像力というものは、経営者にとって極めて大切なスキルである。

見えないものをもう既に実現しているくらいに思いを描くこと。

イメージをビジョンにすること。

〜 ご存知の方も多いと思うけれど、これは、最近読んだ素朴なストーリーであるゆえに考えさせられた本の例である 〜

最近、IT ベンチャーの話題を、新聞、雑誌、テレビなどで知る機会が多く、様々な波があるようだ。ほとんどのネットベンチャーが国内での活動に終始し、世界的な視野でものごとを捉えていないんじゃないかと思う。

Yahoo! や Amazon ような海外の有力ネットベンチャーが、鎌倉時代の「元寇」のように日本に進出してくることは間違いない。その時、日本のネットベンチャーが、どのように防戦に回るのかが見ものである。

ソフィア・クレイドルの業種はソフトウェア業であり、最初から世界を舞台にしていないと結局は生き残れないので、それを前提にして経営をしている。開発している製品が、世界中の人々に評価され、支持され、愛されるようにと。

厳しい局面にも遭遇するだろう。

厳しさの中で育っていくことができれば、世界的な事業だから、正しく地球規模のスケール感に満ちたワクワク&ドキドキの仕事となろう。

いまはその夜明けなのかもしれない。

  

2004 年 12 月 12 日 : 新しいアトリエ

新聞や雑誌、テレビ、インターネットなどのメディアを調べれば、日々、いかにたくさんの新商品が生まれているかがわかる。メディアに掲載されないものもあるから、多種多様な新しい商品が、毎日大量に誕生しているのだろう。

売れる商品というものは指折り数えるくらいしかないのが現実だ。コンビニに行くとよく分かるけれど、新商品は、いつの間にか無くなっている。書籍や CD も売れるのはほんのごく一部で、残りは売れずに返品される。

新しいものを創るには、たくさんの人とお金と時間が掛かる。貴重な経営資源を投入するのだから、なんとか有効に使いたいものである。数少ないけれども、大ヒットする新商品があるということは、ヒットする可能性はゼロではない。

世の中の動きを観察していると、画期的で革新的な新商品、つまりほんとに新しくて素敵なものは、大企業というよりもベンチャー企業から生まれるものが多い。ベンチャーという環境がそうさせているのだろう。ベンチャーといえる場所に、新しいコンセプトが生まれて、具体的な商品というかたちになって、世界にその姿を現す。

ソフィア・クレイドルは携帯電話のソフトウェアを研究開発している。

ソフトウェアという製品としての良さは、一旦完成すれば再生産するためのコストは限りなくゼロに近いということ。インターネット技術の発展のお陰で、インターネット経由で世界のいたるところに流通させることも可能である。ある日突然、世界的な企業になることも夢ではない。

ベンチャーのスタッフは、自分たちが世界を変える壮大なプロジェクトに関わっているということに、プライドを持ってもよい。

ベンチャーである以上、失敗すると後が無いというように、退路を断って仕事をする姿勢も大事である。

自分自身を背水の陣に追い込むと、不思議なことに、睡眠中も潜在意識が働いてくれて、いろんなアイディアが自然と浮かんでくる。

世の中にないようなコンセプトの新しいモノを創ろうとすれば、前例がないことだから、未完成に終わってしまう可能性もある。だが、環境次第では、不可能が可能になることだってあるのだ。

ベンチャーはそれが現実となる場である。そのたびに言葉では表現できない感動が訪れてくる。

できるだけ 20 歳前後の若者(それは、どちらかというと、実年齢より精神年齢において)を、スタッフとして採用するように心がけている。

新しいものを創造しようとすれば、経験や固定観念が邪魔をしてしまうからだ。未経験であれば、先入観がないので、新しいヒントが生まれることも多い。

限られた時間をどう活かすべきだろう?

自分の趣味に取り組んでいるときに、時間を忘れてそれに没頭していることはないだろうか。人間の脳というものは、時が経つのを忘れるくらいの時に、最もよく働くのではないだろうか。最も好きなこととして仕事に取り組んでいれば、最高の仕事ができる。「好きこそものの上手なれ」ということで、スタッフが好きなことしか仕事にしないようにしている。

苦心を重ねて完成した製品も、世間の常識からして新しければ新しいほど、採用してもらうのは難しい。新聞、雑誌、インターネットのメディアに掲載されるだけでもダメ。プレゼンやプレスリリースのメッセージを、製品開発と同じくらいよく考える必要がある。

大切な考え方は「お客様と一緒に製品を育ててゆく」ということ。

まったく新しい商品の場合、最初は作り手の一方的な思いが製品に反映されてしまう。けれども、これではお客様のニーズが 100% 満たされることは少ない。製品評価版などを、先進的なお客様に提供した後は、対話しながら、貴重な意見やニーズを取り入れてゆくことで、製品としての付加価値が飛躍的に高まる。

こんな風にして創られる製品は数少ない。だから生き残るべくして生き残るのである。

  
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