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Sophia Cradle IncorporatedPresident Blog : Venture Spirits

2005 年 03 月 23 日 : 創造のために

日常生活において、整理整頓しないと時が経つにつれ部屋のモノは無秩序に乱雑に増え続ける。いつしかその部屋は飽和状態となり、新しいモノを全く受け付けなくなるだろう。だから、あるタイミングで私たちはいらなくなったものを捨てる。そうやって新しいモノを部屋の空いたスペースに入れるようなことをしている。

古いモノを捨てることによって新しいモノは自然に生まれるという教訓のようなものかもしれない。多くの人がずっと慣れ親しんできたモノや自分自身の固定的な観念をきっぱりと拭い去れないでいる。その結果、閉じられた世界から永久に脱却できず、いつまでも同じ地点を堂々巡りするかのように人生を過ごしがちだ。

ベンチャーであれば、新規性のあるビジネスの創造こそが突破口である。人びとにとって意外で新鮮な満足感をどうやって創り出せるかがその存続や発展を占うカギといえるだろう。

人間の脳細胞は数え切れないほど無限にあるように思えるが、実際は有限な存在でしかない。新しい何かを生み出すためには思い切ってこれまでの過去を全て捨てる去るのも一つの方法だ。

脳の中にある海馬には不必要なものは自ずと忘れさせてくれる仕組みが備わっているらしい。それによって人間は精神的なバランスをとっている。それをあるテレビ番組で知り、『忘れる』という一種の才能や能力みたいなものが興味深く思えた。

ベンチャー起業するにあたってたくさんのモノを捨てた。その結果、何か新しいモノを受け入れる余地を自分の中に創ることができたように思う。以前はできなかった大胆な発想もできるようになったりもした。

しかし、そんな風に生きていても過去の出来事はどんどん積み重なってゆく。なので、たまには過去を整理整頓し、新しき未来を展望するための段取りをせねばと思う。それによって、別の新しい世界が見えてくるような予感がする。

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2005 年 03 月 18 日 : 大企業とベンチャー

ここ5〜6年ほぼ毎日といってよいほど学生さんと接している。ときどき彼らから将来の進路の話なども聴いたりする。

いつか起業したいが失敗したくない。きっと大企業であれば教育体制がしっかりしてそうだ。だから、最初は大企業でちゃんとした経験を積みたい。そんな学生さんも多いのではないだろうか。ドリームゲート・インターンシップでもそんな学生さんが多かった。

この話を聴いて私も昔はそんなところがあったかなと自分の昔の姿を懐かしんだ。学生であった頃、自分の想い描くように何でも事がスムーズに運ぶように主観的に世の中を甘く見ていた。実際は、それとは逆でものごとは自分の思いとは裏腹に推移することが多くいろんな失敗を積み重ねた。

典型的な日本人の考え方からすれば、「一流大学→大企業→ベンチャー起業→人生における成功」というような図式もあるのかもしれない。しかし、実際に生き残って成功しているベンチャー起業家たちの大半は大企業の出身者でなかったりする。なぜ大企業出身という経歴を持つベンチャー起業家が少ないのだろうか?

そもそもベンチャー起業にチャレンジする人が少ないという説にも一理ある。ベンチャー起業に求められる最も大切な要素が大企業では学べないところにその原因がありそうな気がする。逆に大企業で覚えたやり方や習慣が禍したりする。

私自身大企業で勤務していた経験がある。それがベンチャー起業とどう関わってくるのか個人的な見解をまとめてみたい。

どんなものにも必ず裏と表がある。大企業での経験がベンチャー起業にどんなメリット、デメリットを与えるのかゆっくり考えてみるのもたまには良いだろう。

確かに大企業は教育体制がしっかりしているといえる。教育は巨大な組織の一員として働く上で生産性をアップする目的でなされている。大企業は組織が巨大であるだけに、職務内容は細かく分類されている。そのため、その教育内容は細分化された専門性をより伸ばすようにカリキュラムは組まれているものだ。なので、自分の専門性を伸ばすためには大企業はもってこいの組織といえる。

一方ベンチャーの場合、創業期の頃は何から何まで自分がしなければならない。ITベンチャーだからといってプログラミングだけで済ますわけにはいかない。創業の頃は、資金繰り、経理、マーケティング、営業、受注・出荷、契約、人材採用、社会保険、備品の整備などいろんな多岐に渡る内容の仕事を一人でこなせすことが要求される。専門性も大切であるが、一種ゼネラリストとしての能力が要求されるのも事実だ。

勿論、会社が成長すればそれらの仕事も少しずつスタッフたちに権限委譲し、自分の手から離れてゆく。現実はそれ以前に立ち行かなくなるベンチャーが圧倒的に多いのではないだろうか。逆にそこさえ乗り越えると、その後は集中力で必要な知識を学べばなんとかなる。とにかく最初の難関をどうやってのりきるかがベンチャー起業の最大のポイントなのだ。

大企業の教育で学んだ専門知識や業務の進め方、組織などのノウハウも確かに役に立っているけれども、ベンチャーに必要な実務の8割方は未知の分野だった。オーナー社長という立場になって初めてそれを実感する方が寧ろ多かった。水泳にしても頭で学ぶよりも、実際にプールに出かけて練習する方がその習得は早いし、より確実だ。頭だけで考えていても到底泳げるようにはならない。ベンチャー起業も実践の場でしか学べないことが多く、それこそが成功に向けた大きな手がかりとなることが多い。

ベンチャー起業を成功させる上で最も苦労するのは、「顧客の創造」であろう。知名度も実績もゼロの状態でスタートすることの意味は大企業では決して学べない内容であり、ベンチャー起業家にとって最もよく理解しておかなければならないポイントだ。「顧客の創造」という難関を突破しない限り、ベンチャーの未来は絶対に有り得ない。

大企業の場合、その本人に実力がなくともそのブランドだけでモノが売れてしまう。それを自分の才能や能力であると錯覚する人が大企業出身者に意外と多い。

どうやって顧客を創造するかに関しては悩みつつ、いろんな試行錯誤を繰り返した。結局のところ、大企業の教育で学んだことからその解決策を見つけることはできなかった。実際にやってみて、プレッシャーを感じつつ当事者意識をもってやることでブレークスルーできた。

製品やサービスが売れて実績が出てくると、その後はだんだんと売上や利益も伸びてくる。創業時ほどいろんな奇抜な発想をしなくとも売れるようになる。そうなった時にその販売システムの効率化をする段階がやって来る。そんなフェーズで初めて大企業で経験したような知識や技術が活きてくる。いろんな業務をマニュアル化し、システム化する。それらの仕事は大企業では当たり前の話だ。

大切なことはベンチャー起業の最初をどう乗り切るかであり、それを達成できない限り大企業での経験を活かせる場はないのではないだろうか。そのためにもベンチャー起業の肝心要なノウハウをまず知っておくことがベンチャー起業家として成功するための必要条件なんだと思う。

世の中を見渡してみて感じるのは、ゼロから1を創りだす人よりも、どちらかといえば1を10にするような人の方が多そうなことだ。ゼロから1を創りだすのが起業家で、1を10にするのは実務家である。実務家を目指すのであれば、大企業で多くを学べるだろう。

もし自分が起業家タイプを目指したいならば大企業に答えを本当に見出せるかよく考える必要はあるだろう。ベンチャー起業について学びたいのであればできるだけ創業前後のベンチャーで最初から働いた方が多くのことを収穫できるというのが私の個人的な見解だ。ベンチャーの創業が成功して事業が軌道に乗れば、実務家としての知識が少なくて心もとない場合は、外部のコンサルタントや人材を雇ったり、ヘッドハンティングして実務能力を補強すればよい。ベンチャーを立ち上げるよりもずっと簡単なことだ。

起業家であり、実務家でもあるという人は更に少なくなるが、起業家からスタートすればそのような道も目指せるし、また新たな別の事業の起業もあり得るだろう。

どんなオプションを選んだとしてもそれなりの人生が待ち構えているだけだと思う。私個人はずいぶんと廻り道をしてしまった。過去を振り返らないので後悔なんて滅多にないのだけれど、挑戦すべきタイミングを逸していたり、選択を誤まったことも多かった。端的にいってみればそれこそが人生なのであるが、いろいろと紆余曲折があって興味深い話ではある。

  

2005 年 02 月 25 日 : セレンディピティ

セレンディピティ』という言葉をご存知だろうか。Webster's Dictionaryによれば、「セレンディピティ(serendipity)」には「求めてもいないのに偶然に幸運な発見をする能力(the faculty of making fortunate discoveries of things you were not looking for)」という意味があるらしい。何だかベンチャーにも必要な才能みたいだ。

母から薦められた同名のタイトルの映画を観て、『セレンディピティ』という言葉の響きに憧れを抱いていた。偶然に出会った見知らぬ男女が、数年後、それぞれの電話番号が記された書物と紙幣を偶然に手に入れることで物語が展開するというのが、軽妙でロマンティックなこの映画のストーリーだった。

『セレンディピティ』の語源は『セレンディップの3王子(Three Princes of Serendip)』というおとぎ話にあると謂われている。この物語は、セレンディップという国(現在のスリランカ島)の3人の王子の冒険にまつわるお話だ。綿密に計画をたてて出発した王子たちであるのだが、旅は思い通りに運ばなかった。でも、さまざまな困難な出来事や災難に巻き込まれつつ、叡智を振り絞ることで予想外の貴重な体験をし宝物の発見をするというアドベンチャーな話だった。この物語から、幸運を神頼みするのではなく「不思議なことを追求する心的能力」ということを意味するようになったらしい。

実際のところ、ベンチャー企業で起こるさまざまな出来事もこれに近いところがあるように思う。事業計画書の緻密な計画や研究開発がその通りに進まないケースが圧倒的に多いのではないだろうか。その中にあって、計画が当初の予定以上に発展できるかどうかは、予想外の発見や発明をする『セレンディピティ』の才能によって運命付けられるように感じる。

『serendipity』という英単語にしても、何の関心もない人からすれば単にアルファベットが並んでいる単なる文字列に過ぎないが、これに興味を持って何らかの知識や教訓を得ようとする人にとっては学ぶことが多いだろうと思う。日常生活において存在していたり発生するさまざまな事象に、どれくらい深くそんな姿勢でいられるかが『セレンディピティ』という才能をのばす鍵となるのかもしれない。レイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』にも通じるものを感じたのだが・・・。自然界や宇宙の不思議に敏感であった科学者や詩人たちにもこの能力が見出せそうである。

ソフィア・クレイドルは「未来社会におけるクールな携帯電話向けの電話帳」を研究開発するところから出発したが、未だそれは達成できていない。いろんな条件、制約や業界環境などに左右され当初の計画からすれば必ずしも思い通りに進んでいない。しかし、いろんな困難な事態や問題をスタッフ全員の知恵を働かすことによって、壁を乗り越える度に自ら成長すると共に予想もしなかった新しい技術開発に成功してきた。そして、それらが製品となり売上があり、幸いにも会社自体が生存しかつ進化を続けている。

苦しく厳しい経験や体験が存在するのなら、そこで得られるものにもそれだけの価値があるのではないだろうか。誰にも備わっていると思われる『セレンディピティ』を養うことができたら、獲得できるものも珍しく美しい宝物となるだろう。だから、そのためにも何よりもまず、『創める』というスタンスが大切になってくるように思える。

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2005 年 02 月 22 日 : スマッシュヒット

しっかりとボールを見極めて、そのボールをバットの芯で捉え、鮮やかなスマッシュヒットを放つ。バッティングの基本はこんなところにあるんだと思う。

いろんな人の仕事のアウトプットを見ていると、人それぞれに様々な多様性を発見できる。定量的に評価すれば、Aという人はBという人の100倍以上のパフォーマンスを発揮していたりする。働いている時間は100倍という訳でもなくほとんど変わらないのに、結果的にそんな大差となる。

それぞれの人の行動というのは、時間と空間と行動という3つのパラメーターの関数になっているように仮定できそうだ。何も考えず只管長時間労働したからといって、必ずしも良い結果が得られるとは限らない。長く活動していればそれだけ多くの気付きを得て、素晴らしい業績を残せる可能性は高まるかもしれない。

ボールをよく見ないで、バットを振り回していても虚しく空を切るだけに終わる場合が多い。よく見て絶好のコースに来たボールだけを確実にスイングする方がヒットとなり、ボールは美しい軌跡を描く。

このように野球ならば当たり前のことが、現実のビジネスの場ではなされていないように思える。常に着実を心掛けて、その時その状況におけるチャンスをよく見極めて行動している人だけが、他の人の何百倍ものダントツの業績を残す傾向にあるようだ。

本当に何が大切であるか、日頃から物事の本質を見抜く訓練をしていれば、その振る舞いが自然に本能的な行動へと昇華し、短時間しか仕事をしなくとも圧倒的なパフォーマンスを発揮できるような気がする。

21世紀の時代では独創的な発想というものが貴重な才能として社会から評価されるだろう。凡人が独創性を身に着けるためには、様々な分野の物事を学ぶ必要がある。しかし、時間というものは1日24時間と有限だ。限りのある時間だからこそ、その時、その場所で本当に最適なものだけを選択して、学んだり、考えたり、体験したりする、野球で言うところの選球眼を伴ったバッティングセンスのような思考と行動が大切になって来るだろう。そんな予感がする。

  

2005 年 02 月 21 日 : 小さな組織にて

1980年代、表計算と言えば「ロータス1−2−3」のことだった。2005年の今、表計算で「ロータス1−2−3」を使う人は珍しく、大半の人は「マイクロソフトExcel」を利用している。

1988年のころの興味深いデータがある。同じ表計算ソフトの開発チームの規模なのだが、「マイクロソフトExcel」は15名で、「ロータス1−2−3」は100名の組織で製品開発がなされていたという。最終的には、圧倒的に少ない人数のチームで開発された「マイクロソフトExcel」が、「ロータス1−2−3」を駆逐してしまった。(「私がマイクロソフトで学んだこと」、32ページ)

これは「大きければそれで良いのだ」ということが通用しない典型的な例といえるだろう。特にソフトウェアの開発では、できる限り少ない人数でチームを構成するのが重要だと思う。他の仕事でもそうかもしれない。

その理由はいろいろと考えられるが、人数が少なければ一人当たりの責任の範囲や度合いが大きくなり、それだけ頑張れるし、仕事の達成感を実感できるからではないかと思う。人数が少ないといろんな創意工夫もなされる。

人数的な制約があれば、創れるものにも物理的な限界がでてくる。本当に欠かせない機能だけに絞って重点的に開発することになる。よく考えてみると当たり前のことかもしれないけれど、利用者が普段使っている製品機能はほんのごく僅かだ。こんなところにもパレートの法則(80対20の法則)は有効に働いている。

「シンプル・イズ・ザ・ベスト」ということかもしれない。シンプルな製品は売れるパターンの一つだ。人数が少なければ必然的にシンプルな構成の製品を創らざるを得ない。大規模な組織になってしまうと、誰もが余分だと感じているのに新機能を付けてしまおうというような発想も起こるかもしれない。こんなことをすれば、逆に製品そのもののトータルシステムとしての価値が低下してしまう。

ボトルネックの法則によれば、ソフトウェア製品のクオリティというものは、その製品を構成する数多くの部品やパーツの性能で最も低いところで決まると一般にいわれている。少人数なら、なるべく同じレベルの人材を集めることも可能となる。そのチームの範囲内でできる仕事を見つけて、だんだんとクオリティの高い成果をあげることができる。

マイクロソフトがロータスよりも一桁下回るくらいの規模のチームで、同じような製品開発することで得られるもう一つの大きなメリットがあった。それはチームを構成するスタッフたちの成長だった。少ない人数で大きな仕事をしようとすれば、真に重要なことは何かということを自問自答したり、短時間で集中して仕事をこなす術を考案したり、無駄な仕事をしない習慣が自然に備わってくるそうだ。プロフェッショナルなアスリートたちがオーバーフローするような訓練や練習をすることで、自分の筋力を鍛えるのと同じようなことが現実の仕事においても求められる。

同じ仕事をできるだけ少ないチームでやる方法について、真剣に考えている人は意外に少ない。

  

2005 年 02 月 17 日 : 海の彼方には

創業してからこれまでの3年間は国内のマーケットを中心に事業を展開してきた。今年から始まる次の3年間で海外のマーケットへと徐々にシフトしようと計画している。国内のマーケットを1とすれば海外のマーケットは15〜20と圧倒的な拡がりがある。しかも、携帯電話の国内市場は飽和状態だが、海外は中国、インド、ロシアを中心に現在も凄い勢いで伸びている。

国内マーケットに絞ってきた理由は、携帯電話のハードウェアそのものが日本のものは、海外と比較してダントツに進んでいたからだ。しかし、昨年後半あたりから、海外でもカメラ付きやゲームができる携帯電話が続々と出荷されるようになってきた。私たちが研究開発してきたソフトウェアのニーズが海外マーケットで急激に立ち上がりつつある。ちょうど一年前は海外からの問い合わせは皆無だった。でも、最近では毎日のように世界中の国々から問い合わせが入るようになっている。昨年の秋以降、この傾向が顕著に現れている。

京セラや日本電産、SONY、HONDAなどの偉大な企業の創業の頃を研究していると、何れも海外での販売をきっかけとして大きく飛躍してきたことが分かる。しかも、海外の場合は国内とは違って一瞬のうちに重要な意思決定がなされる傾向が強く、これらの企業は何れもその一瞬のチャンスを見逃すことなく掴んでいる。そんなチャンスが訪れるであろうことを意識して、それに備えることが肝心だと思う。

ソフトウェアビジネスの場合、今やマーケットから必然的に求められているのは、「水準は世界標準」ということだ。現在、皆さんが使っているパソコンのOSにしても、ワープロにしても、メーラーにしても、ほとんどがそうではないだろうか。そんな背景があるので、その先に広がるのはグローバルなスケール感のある未来と思う。

これまでは日本語ベースで研究開発を進めてきたが、世界標準を目指そうとするならば、英語を使わざるを得なくなってくる。そうすることによって、リアルタイムに製品を全世界に同時に供給することができる。いわば、スピードを重視した世界レベルの経営がその時初めて実現されることになる。日本語と英語には、言語学的に大きなギャップがあるようで、自由に使いこなすのには苦労する。しかし、もはやそんなことも言っておれない状況になりつつある・・・。これからは、必要に迫られて英語をオフィスのスタンダードな言語にしてゆくことになるのだろう。昔は、単に大学に入るためやTOEICのために勉強した英語だが、これから暫くは実質的に英語を勉強しなければならない状況に追い込まれてきた。

英語で仕事をしていると意外に良いことがあるのが分かる。企業というのはそこで働く人によって支えられている。その会社に集まってくる人材のスキルや人格、才能といったものの集積及びそれらの組み合わせから発生するシナジー効果が全てと極論しても良い。

日本では優秀な人ほどベンチャーではなく大企業で働きたがるようだ。でも海外では全くその逆だ。優秀な人から順番に、伸び盛りの急成長ベンチャーで働く、或いはそんなベンチャーを起業する未来を選択する。日本人だと採用できないような人材が世界レベルだと採用できる可能性が高くなる。実際、ソフィア・クレイドルでも海外からのインターン生を募集すると、世界中から優秀な人材が応募してくる。

それから、もう一つ大きなメリットをあげるとするならば、ソフトウェアビジネスで最も重要なポイントは、如何にして20代前半の有能なプログラマーに活躍してもらうかということがあるように感じている。日本の場合は、中学高校とコンピューター教育を真剣にやっているところは皆無に近い。有名大学に入るための教育という名の受験勉強が熱心になされている場合が圧倒的に多い。たとえ有名大学に入学できたとしても、実社会で実際に役立つような教育がなされている例は珍しい部類だろう。

海外を調査してみると、日本とは全く異なっている事実に気が付く。それは、中学や高校の段階からコンピューター専門の学校があって、10代の頃から、将来のコンピューター技術者の育成に向けた教育がなされている。しかも、若い頃は天才プログラマーとして活躍していたような異能が教育に携わっていたりする。例えば、以前ご紹介したアラン・C・ケイ氏もその一人だ。コンピューターだけでなく、いろんな分野で、その人の人生の目的や目標に合わせた教育がなされている。だから、20代前半の年齢でも充分に実務に耐えうるようなスキルを持った人材が育つのだろう。

プログラマーの場合、20代は最も充実した年代であり、このときに世界的な業績を残した天才と称されるようなプログラマーは数え切れないほどいる。日本では、そんな天才プログラマーを発掘するのは至難の業だが、世界中から探すとなると、スキルやモチベーションも含めて採用しやすくなる。

それから、ソフィア・クレイドルで働きたい海外の若者たちのエッセイとか読んでいると、弊社の場合、何故かヨーロッパからの希望者が多いのだが…。京都にある会社というのはとても魅力的らしい。いろんな寺院や自然、文化、そして歴史が古く、極東の地ということもあって、興味深いらしい。そんな地の利を活かして、海外の人材をこれから少しずつ増やして、この3年間で海外へのシフトのランディングを完了できたらと思っている。

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2005 年 02 月 16 日 : 講演のご案内

海外インターン生でいつも大変お世話になっているアイセック同志社大学委員会様の主催の起業家講演会で話します。ご興味のある方は是非ご来場ください。

題目:「ベンチャービジネスの立ち上げ方」
日時:平成17年2月19日(土)14時〜16時
場所:同志社大学今出川キャンパス 講武館106
開場:13時30分

<講演概要>

ベンチャービジネスの中にあって、イノベーションとマーケティングで勝負をしなければならないハイテクベンチャーを立ち上げるのは並大抵のことでないように実感します。何の知識も持ち合わせず、勢いやノリといった感覚で始めるとすれば、そこには大苦戦が待ち構えていることでしょう。それはそれで良い経験にもなるのですが、その先にはもっと多くの難関があるのだから、最初から分かっている問題は事前に対処するのがベストです。

多くのベンチャーが廃業したり、M&Aされたり、当初の思惑と違ってやりたくないことを仕事にしていたりします。そんなことになれば、何のために一大決心をしてベンチャーを始めたのか、その意味が分からなくなります。

ほとんどのベンチャーは立ち上げの時に、最初から組み込まれた問題に起因して、立ち行かなくなったり、思うように事業が運ばなくなったりします。何故、そのような事態が発生するのかを自分なりに考えることもよくあります。私が思うには、全てはベンチャー起業について学ぶ場が皆無に近い状況が今日の事態を招いているように思えてなりません。

私自身、右も左も分からないままに起業したのですが、しなくてもよいことをしていたり、悩まなくてもよいことに悩んだり、やるべきことをせずに苦労することが多かったように思えます。事前にそんなことを少しでも知っていたら、もっとスムーズに事業を軌道に乗せられたのにというような反省も数多くあります。

創業して3年という年月が経過しました。最初は売るべき製品も存在しなくて、それを凌ぐために廻り道しつつ、いろんな創意工夫をしました。そのような経験を通じて、私たちも成長すると共に会社も次第次第に良くなってきました。現在では、既存製品の売上だげで月間固定費を充分に上回っていますので、売上の全額を新規の研究開発に当てることもできれば、何も働かなくとも暫くは安泰というようなところまできています。実際には、会社をもっと伸ばしたいので働かないというのはありえないことなのですが…。

ソフィア・クレイドルは、スタッフたちも含め、短期的な成長ではなく、長期的に想像もつかないほど成長することを目指している会社です。だから、最初から猛ダッシュすれば短期的には大きく成長するかもしれません。しかし、長期的には息切れしかねないため、研究開発は他のベンチャーでは類を見ないほど、ゆったりとしています。スタッフたちは完全週休2日制ですし、ソフトハウスでよく見られるような不眠不休で働いているスタッフは一人もいません。

新しい何かを創造するには、我武者羅に働くのもいいのですが、それだけでは何かが不足するように感じています。いろんな模索をしつつ、ハイテクベンチャーを成功軌道に乗せるように努力しています。

ソフィア・クレイドルというベンチャーを創業してから3年の年月で多くを学びました。この過程で得た多くの気付きは、他のベンチャー起業にも少しは役に立つように思えます。少なくとも、同じような失敗をした時の対処としては参考になりそうな気がします。

学校や会社や家庭では、なかなか起業を成功させるための方法論について学べません。この日記でお話してきたことはまだまだ極僅かな気がします。他で学べないようなことを今回の講演会ではご紹介できればと思います。

  
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