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Sophia Cradle IncorporatedPresident Blog : Sophia Cradle

2006 年 03 月 27 日 : Enthusiast

昨年末リニューアルしたばかりだけど、今年も装いを一新するサイト企画をそろそろ始めるつもりだ。

「どんなサイトを創ればいいのかな〜?」

とスタッフに訊くと、必ずと言って良いほど返ってくる回答は

「分かりやすいのがいいじゃないですか〜?」

という類のものだ。

実は僕が密かに期待する答は、

「訪れた瞬間、自ずと魅了され虜になってしまうほどの鮮烈なサイトがいいネ!」

だったりする。

ようするに、ソフィア・クレイドルの熱狂的なファンが生まれるサイトにしたい。

星の数ほどIT企業が破綻する中にあって、何故アップルコンピューター社は幾多の経営危機を乗り越えていまもなお健在のなのか?

明らかに、信者と言ってもよいほどの熱狂的なアップルのファンがいたからである。それなくして、今日のアップルコンピューター社は有り得ない。

それでは熱狂的な信者はどのようにして生まれるのであろうか?

「分かり易さ」だけでは余りにも弱すぎる。

喜怒哀楽、人の感情や感性に深く根ざしたものでなければならないと思う。

その際、成功に繋がる手掛かりは、サイトを"訪れる前"と"訪れた後"で人の感情がどのように移ろいゆくのかという「心のシミュレーション」にあると考えている。

今年はもう一歩掘り下げて情感を込めたサイト創りに全力を注ぎたい。

* enthusiast : someone who is very interested in a particular activity or subject

  

2006 年 03 月 25 日 : 交換法則

集合 S に 2 項演算 "·" が定義されているとき、 S の任意の 2 元 a, b について

     a・b = b・a

が成立するならば、この演算は交換法則を満たすという。このとき、演算は可換であるともいう。(Wikipedia より)

例えば、整数の足し算と掛け算については交換法則を満足するので、これらは可換である。

抽象的に考えれば、ビジネスの財務諸表に現れる全ての数字は、整数の足し算と掛け算をした結果に過ぎない。

すなわち、ビジネスのほとんどの出来事は可換であり、2 種類の事象 "a" と "b" があったとき、"a・b" と "b・a" のどちらを選択するかが経営者のセンスと言えるかもしれない。

例えば、3 つの事業を展開し、それぞれの事業で 1 億円の売上を上げて総売上 3 億円とする経営者もいれば、ひとつの事業に絞って総売上 3 億円とする経営者もいる。

或いは、100 名の社員を雇って、1 人あたり 1000 万円の売上で総売上 10 億円とする経営者もいれば、10 名の社員だけを雇って、1 人あたり 1 億円の売上で総売上 10 億円とする経営者もいる。

財務諸表の結論を眺めた瞬間は、どちらも結果は同じである。けれども、どちらの会社に未来が拓けているのかという問題意識が重要だろう。

  

2006 年 03 月 24 日 : Motive

『何故そのベンチャーを創めたの?』

簡単な質問ではあるが、論理的な矛盾で破綻しないためにも押えるべきはこの質問に対する単純明快、シンプルな答えであろう。

     「自由に生きたい」

     「才能を伸ばしたい」

     「人の役に立ちたい」

     「金持ちになりたい」

     「社会貢献したい」

     「人を驚かせたい」

     「人を楽しませたい」

     「有名になりたい」

     「大きなことを為したい」

        ………

人それぞれに起業の理由はさまざまで、一概にどれが正しいと言えるものではない。

それは、もしベンチャーに人格があるとするなら、人格を定める類の質問なのだと思う。

日によって人格が変わる人は精神的に病んでいるように、それは法人である企業にも当てはまることである。

考え方やポリシーが首尾一貫しているから、企業は安定的に成長するのだと僕は思う。

その意味において、統一感のある企業コンセプトはとても重要で、その発端は冒頭に記した質問である。

自分が確かに生きている実感を得るために僕は起業した。

残念ながら、「世のため、人のため…」というような大それた目標の域にまで全然達していない。

個人的に思うに、先ずは自分が自立し、己の人生の目的を達成出来たとして、それは考えるべき命題と見なしている。

ただ、独りで生きている訳ではないので、世界全体を俯瞰し時代と共に移り変わる世の中を眺め、一歩でも良き方向に自分が持てる才能をできる限り発揮するようには努めている。

僕の起業の動機は極めて個人的なものである。自由に思うままに自己の才能が最大限活きる場で自分を試してみるということである。

たまたまそれに共感して価値を見出す人がいれば、その人が行動を共にするスタッフになっているかもしれない … というような極自然なスタイルが理想である。

ベンチャーは、動機に始まり、そして動機によって完成されるように思う。だから、それはいつも大切にすべきであるし、真剣に考えるべき事柄でもある。

* motive : the reason that makes someone do something, especially when this reason is kept hidden

  

2006 年 03 月 22 日 : プラスアルファ

弊社にジョインしているスタッフは京都の大学・大学院に通う学生が多い。

何らかの切っ掛けで偶然出合った間柄である。

茶の湯の「一期一会」という言葉を大切にしている。

人生において時間ほど貴重なものはない。一瞬たりとも無駄にすることなく常に生産的でいたい。

働いた時間だけ小遣い程度の報酬を得るというよりは、もっと貪欲になって生涯に渡って文字通り「ツカエル」計り知れない何かを身に付けてもらいたい。

だから、仕事を提供する経営者として考えるべきは、単に労働に報いる対価以上に、僕にしかスタッフに与えることができない「+ α 」って何かという問題意識だ。

段々と分かったきたのは、学生はビジネスの素人だということ。

十中八九、世の中で価値あるモノを見出し創造して、その価値に応じてお金を得るというプロセスに疎い。

高校や大学で全く習わないのだから至極当然の話ではあるけれど…。

けれども社会に出て独りで生きていくためには、これほど必要とされ涸渇しているスキルも少ない。

要するに希少価値があり、金銭では計ることすら不可能なコンセプトなのだ。

ベンチャー企業では、そんな能力がなければ間違いなく倒産の憂き目に会う。逆に言えば、ベンチャーが曲がりなりにも存続しているのは、多少なりとも自立しうる力が内在しているということなのである。

世の中、成功する人もいれば失敗する人もいる。圧倒的に多いのは失敗する人たちである。

違いは何か?

間違いなく言えるのは、目に見えないチャンスを自分のものにできた人だけ成功するという冷徹な原理である。

ブランドが華々しく一世を風靡している場所に、チャンスって多そうに見える。実際のところは、順境の局面において、ものごとの本質を見極めるはとても難しい。

皮肉かもしれないけれど、ブランドがその輝きを世に見せる夜明け前の方がはっきりと目視できる。

統計学的に言えば、何らかの才能である一定水準以上の人物は必ず存在するものである。

その人が創ったものが人々に選ばれるかどうかというのは、確率で計れるものではなくて、原理原則に基づく行動をしているかどうかの問題に過ぎない。

だけど、この原理原則というのものが簡単なようで難解なのだ。

ソフィア・クレイドルで働く意味はどこにあるのか?

仮に自分が何らかの才能で人よりも秀でているとする。

自分でその才能をどのようにプロデュースすれば、他者に頼るでもなく、確実に成功できるのかというノウハウを体得できること。

そこに弊社のようなベンチャーにジョインする意義を見出せる。それこそが得られる最大の価値であると僕は考えている。

  

2006 年 03 月 22 日 : 新しいビジネスの形

今週は、地球の裏側、ラテンアメリカのお客様とメールでコミュニケーションを取りつつ仕事を進めていたりする。

聴くところによると、ラテンアメリカではNOKIA 製の携帯電話が爆発的に普及しているという。

携帯電話のハードウェア仕様が日本で普及しているものと一部異なっている。

特殊な仕様をメールでヒアリングし、その仕様通り数学的にプログラミングし、完成したものをネット経由でお客様に配布する。

手元には現地で使われている携帯電話が無いので、お客様に協力を仰いでテストしていただく。

今朝、何ら問題なく無事に動作したというお客様からのメールが入っていた。

問題が発生してから解決までに要した時間は一週間もかかっていない。現地に赴く必要は全くない。

ネットの有り難さを実感する瞬間である。

今後、ワールドワイドなビジネスのスタイルは大きな変貌を遂げることであろう。

肝心なのは、その姿をどれくらいリアルにイメージできるかである。

  

2006 年 03 月 17 日 : リベルテ

僕にとっての 21 世紀とは、「自由」な日々を過ごすための時代である。それ以前は、大学や大企業という大組織に所属していた。

「自由」が僕の人生におけるキーワードなんだけれども、よく考えてみると「自由」という言葉自体、その意味が曖昧で、人それぞれに定義が異なるようにも思える。

最近、読んだ本の中に、「自由」とは「自らに由(よ)る」ということなんだと書かれていた。

その本にあるように、他者に頼ることなく、自らの力を信じて生きるという風に、「自由」という言葉を僕なりに解釈している。

大きな組織に所属していると、権威やら権力という世俗的なものについつい迎合し勝ちである。不本意ながらそれに従わざるを得ない状況に陥る事態も多い。

そんなことが何度となく繰り返されると、次第に自分自身の本当の良さを表現するパワーが消滅してしまうシステムのようにも感じられた。

世渡りという観点から言えば、権威や権力というものに素直に従うのが手っ取り早く、近道なのかもしれない。

年を重ねる毎に時の経つスピードを実感する。人生って長いようで意外に短い。

確実に言えるのは残されている時間は有限であり、希少価値があるということ。

充実した日々を過ごすためには、できるだけ多くの時間を自分の人生の目的に費やしたい。

大きな組織から距離を置き「自由」に生きる道を選択をしたのは、そんな理由からとも言える。

〜人は常に変わりなく無欲で純粋であれば、その微妙な唯一の始源を認識できるのだが、いつも変わりなく欲望のとりこになっているのでは、差別と対立にみちたその末端の現象が分かるだけだ。〜「老子・第一章」(金谷治著)

  

2006 年 03 月 16 日 : アイディアとイノベーション

ShiftUpMobile

以前から、「盆栽」というキーワードがこれからの新しき時代を生きる上で外せない原点のようにも思えて、妙に気になっていた。

「京都 広樹園」さんのホームページによれば、「盆栽」は次のように定義される。

「一言で言えば、鉢(盆)の中で自然の大木を思わせる古さ、雄大さ、美しさを凝縮して表現した樹木といえるでしょう」

この説明を読んでみて、古来から日本に暮らした先人たちが大切にしてきたものが何となくではあるが感じ取れる。

先般、世の中の状況というのは、M & A とかで、拡大、拡大、拡大 … という路線があたかも正しいかのような幻想を抱かせる。

これは欧米のトラディショナルな考え方に基づくもので、その中にあってアングロサクソン流に競争に打ち勝とうとしても至難の業なのではないだろうか。

逆転の発想として、「盆栽」のように大きなものを小さな領域に写像して、その中から新たなる何かを求めて創造するスタイル。

それは日本の伝統を汲む流れであり、僕たち日本人の DNA に刻まれた、世界に誇れる数少ない独自性の一つである。

     アイディアとイノベーション、
            モバイルに新しい世界観。

最近、こんなキャッチコピーを創ってみたのだけれど、そこに込められた思いは、携帯電話のような手のひらサイズの小さなコンピューターに、「巨大なコンピューターのスガタ・カタチ」を投影したいという願いである。

  
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