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Sophia Cradle IncorporatedPresident Blog : Sensibility

2005 年 08 月 17 日 : Heart & Mind

和英辞典で調べてみると、"人々の心をつかむ"を英語で表現すれば"win the hearts and minds of people"ということらしい。"heart"も"mind"も心であることに違いは無いけれど、"heart"は喜怒哀楽など感情の宿る心、"mind"は知性・理性の宿る心という風に使い分けがあるようだ。個人的に興味深いと思ったのは、"win the minds and hearts of people"ではなくて、"win the hearts and minds of people"であるという点である。先ずは感情の心"heart"が先に来て、それから知性や理性の心"mind"と続く。

今、ホームページのリニューアルプロジェクトを精力的に進めている。これまでのソフィア・クレイドルのホームページは、ただ製品や技術、会社に関する情報を提供するので精一杯だった。それでもそれぞれのデザイナーが表現していたイメージはずっと"水"と"空"だった。その解釈は自由と思う。

お蔭さまで開発した製品は売れ、余裕もある。次の展開に備えて、その余力をどう活かすか。ベンチャーの成長はその意思決定に左右されると思っている。光速のスピードで世界に張り巡らされたネットの存在は、自分達にとって遠近関わらず雑多な情報で溢れんばかりで無視できない故に、ネットへの正当な対策を早めにやっておいた方が良いと考えている。

"お客様の心をつかむものにしたい"

"win the hearts and minds of our customers"

ホームページリニューアルプロジェクトに描く私の思いだ。英文表記にもあるように感性の世界である"heart"が最初。それから論理の世界である"mind"。この順番は絶対に誤ってはならないと思う。

ホームページで"感性"って何なんだという疑問に突き当たってしまうのだが、個人的な感覚からすればそれは"色"ではないかと思う。少々高価な洋服を選ぶ時は、その服が光線の具合によってどんな色に見えるかというところが最重要ポイントではないだろうか。初めて会う人には形よりもその色の雰囲気で第一印象をずっと持たれてしまうことも多い。だから色については敏感になる。ホームページもそれと同じでどんな色の組み合わせで演出するかというのはきっと大切なことだ。

売れる色・売れるデザイン』(高坂美紀著)によれば、「明るく澄んだ色」と「暗く濃い色」を組み合わせるとたいていの人を癒せるとのこと。"DEEP BLUE"という美しい映像で評判の映画がある。今年最も売れているDVDの一つらしい。この映画では果てしなく続く海を背景にそんな色が随所に見受けられる。色以外の要素もあるかもしれないけれど、どんな生き物でも癒される色には魅力を感じるように思う。

それではどうやってそんな色を創り出すか――が最大のポイントになってくると思うのだが、空(その先にある宙)や海、山、川、森、私たちの周りを取り囲んでいる自然は人間を癒してくれる色で満ち溢れているように感じる。そこにヒントが隠されているような気がする。

  

2005 年 08 月 16 日 : Eternal

文化の香り高きものはその息が長い。それは音楽、絵画、文学など何百年、何千年にも渡っていまだに生き続ける作品で確かめることができる。でも「文化」と気軽に言うものの、これについて正確に定義することができるだろうか。

三省堂の新明解・国語辞典には次のようにあった。

『その人間集団の構成員に共通の価値観を反映した、物心両面にわたる活動の様式(の総体)。また、それによって創りだされたもの。〔ただし、生物的本能に基づくものは除外する。狭義では、生産活動とは必ずしも直結しない形で、真善美を追求したり、獲得した知恵・知識を伝達したり、人の心に感動を与えたりする高度な精神活動。すなわち、学問・芸術・宗教・教育・出版などの領域について言う。…… 〕』

この「文化」の定義を読んで個人的に思うのが、"真善美"とか"感動"、"人間に共通する価値観"といったような"質的な"キーワードである。「文化」というものが量的な尺度で測るものではなく、質的に評価されるものであるが故に「文化的なもの」ほどその寿命は長く永遠を保つのだろう。

ベンチャーの唯一にして最大の弱点は、その基盤の不安定さにあると思う。だからベンチャー起業家は、先ずは生まれながらにして持つ不安定感をどうやって拭い去るかに最も力を入れねばならないと思う。そういう意味において、ベンチャーにおいて創るべき商品やサービスに何らかの文化性があるかがポイントであるような気がする。

ソフトウェアの場合、ソースコードのエレガントさや操作の心地良さなどの感動がアートといわれる域までに達しているかどうか、作者自らが自問自答する姿勢が必要だろう。もうこれ以上のものを創り出すのは不可能に思える段階になって、やっとそれは文化となり永遠の生命も持つ作品として後世に残るのかもしれない。

  

2005 年 08 月 07 日 : Engine performance

ネットでF1ドライバーズポイントを調べてみると、今シーズンは昨年まで数年間にわたって連戦連勝だったフェラーリに所属するシューマッハの成績が振るわない。それに代わってルノーのアロンソがトップを快走している。

ドライバーのテクニックやパフォーマンスなど相対的な変化による影響もあるかもしれない。けれども、マシンに搭載されているエンジンや乗り心地などのハードウェアやソフトウェア的な性能の差にもきっと何かがあるに違いない。トップF1ドライバーにしてもマシンが思うように走ってくれないと、チェッカーフラッグを一番に受ける栄誉を手にする願いは叶わない。逆に、たとえそんな高性能マシンに素人ドライバーが乗り込んでみても、百戦練磨のドライバーたちの遥か彼方の後塵を拝するだけだ。

プロフェッショナルにはプロフェッショナルにしか使いこなせないツールやシステムがあるわけで、感性や才能とツールとの一体感というのが最も重要なファクターなのだと思う。いくら才能に恵まれた偉才がいたとしても、その才能を発揮するためのツールがなければ折角の才能も永久に眠ったままだ。その才能に相応しいツールがあって初めて、この地球上に新しい創造に伴う感動も生まれる。

コンピューターは人間の知性や感性を増幅させるために生まれたツールである。最初はソフトウェアの概念が無くて、ハードウェアだけのコンピューターで柔軟性は無かった。しかしソフトウェアという概念の創造によって、今日のようにコンピューターは発展を続けている。ソフトウェアはハードウェアと違って柔軟に変化する性質を帯びている。だから"ソフトウェア"という名で呼ばれる。それは生物が何十億年もの期間にわたって進化を遂げてきた姿に似ている。

しかしそのソフトウェアの進化発展は、プログラマーという人間の知性と感性によって成し遂げられるのである。その先に待つ夢のある未来の創造は、超一流のプロフェッショナルなプログラマーの腕にかかっている。そんなF1ドライバーのようなプロフェッショナルプログラマーに必須の高性能エンジンともいえる"プログラム開発環境"を提供できる誇りや自信を持ちたい。そんな使命感に基づいて、ソフィア・クレイドルのチームはソフトウェア研究開発に取り組んでいる。

  

2005 年 07 月 27 日 : Identity

スポーツ、音楽、絵画などのアーティステックな分野では、"超一流"と言われるものほど、概してそれぞれに他と明確に異なる何かが必ず存在するものだ。例えばモーツアルトに似た誰かのことを聞かないし、イチローと同じような人も見たことはない。"超一流"という概念は真似が及ぶ範囲外の世界であるかに思えてくる。

ビジネスの世界でもきっとそれと同じことだろう。"超一流"の仕事を成し遂げようとするならば、真っ先に心掛けるべきは自分独自のオリジナリティを発掘し育成するという視点からものごとに臨む姿勢ではないだろうか。

ベンチャービジネスを創める動機としてお金儲けから入った場合、自分を取り巻くマーケットの情勢に否応なく従う傾向が拭い去れないだろう。ビジネスという観点からそれは至極当然なことではある。しかし、マーケットに流されて単に儲かるからという理由だけで創めたビジネスで、歴史にその名を刻むまでになった偉大なサクセスストーリーは未だ聞かれない。

創業当時から感じていたことは、現在のマーケットがどんな構造になっていようが、自分の才能が最大限に発揮できるジャンルに特化して拘り、それに徹して没頭するのみというアプローチこそが、"超一流"のアウトプットを生み出すコツに違いないという確信だった。

それでは時代のトレンドを超えた領域に踏み込んでしまって、現在の人々のニーズやウォンツとシンクロしないかもしれない。だが、自分のミッションを果たし有意義な人生を全うするという目的を達成するためには、他と一線を画すオリジナリティの発揮は欠かせない。それは必ず自分自身の中に存在しているのだと信じ、発見しようと試みるのも、ある意味では有効な方法だろう。

"時"は過去から現在、そして未来へと果てしなく永遠に流れゆく。その潮流には無限大のひろがりがある。だから自分の感性が人々のそれとシンクロする"時"が何時か訪れるだろうという予感だけは確かにある。

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2005 年 06 月 22 日 : プログラミングの本質


試行錯誤しつつ思い描いたものを、プログラミングという行動に落とし込んで表現した結果であるソフトウェアをマーケティングし販売する。ソフィア・クレイドルとはそんな会社である。だから時には『プログラミングって一体全体何?』と原点に立ち返って思考するプロセスそのものが斬新な発想やイノベーション、新しい世界をひろげてくれる。

個人的な見解かもしれないけれど、ある意味ではプログラミングとは作文や作詞、作曲に似たものに思えてならない。直感的に作文に近い気がする。

だからまだその才能を開花させていないプログラマー候補のスタッフを採用する場合は、その人の文章力や表現力に頼ってプログラミングの素質を見極めようとしている。

ソフィア・クレイドルの製品をマーケティングするスタッフについても、プログラミングという仕事を本業にしなくても、潜在的にプログラミングの才能を秘めた人材の方が好ましいと考えている。それで全てのスタッフの人材採用に際して、その人の文章力や表現力といった才能やセンスは取り分け重視するよう心掛けている。当然、誰もまだ完成されてはいない。

タイムマシーンで明治時代という遥か彼方の過去に遡った情景をイメージしていただきたい。いま皆さんが利用している『パソコン』をその時代の人々に説明するよう謂われたとしたらどうだろう?いくら開かれた時代であったとしても、想像以上に難しいミッションと思う。

日常生活でパソコンを使っている現代の人々には、一言「パソコン」というキーワードだけで通用する。それはその人が日常生活において使いながら本能的、無意識に「パソコン」を理解しているからである。「パソコン」というものを見たことも触ったこともない人にそれを説明するのは難しく面倒なことである。

極端な話ではあるが、プログラミングとは、「」と「」で構成される文字列しか受け付けないコンピューターに対して、自分が実現したい思いを「」と「」で表現することを意味する。その内容によっては明治時代の人々に「パソコン」という概念を伝える仕事よりも大変である。

普段から「パソコン」のことを使っていてよく知っている人に「パソコン」という概念を共有するような感覚で、プログラマーもコンピューターとさまざまな概念を共有できれば、コンピューター上に表現したい内容の量と質、そしてそのスピードは飛躍的に向上するだろう。

そのためには、プログラマーが知っておいてもらいたいと思う単語や熟語、諺、決まり文句のような語彙を、予めコンピューターが理解していてくれるともの凄く助かるだろう。極端な話、一言発するだけでプログラミングがなされる世界も実現するかもしれない。

コンピューターが発明された当初、コンピューターのプログラムは直接「」と「」で記述するしか他に術はなかった。時の経過と共に、プログラミング言語というものが発明され、より人間に近い立場でプログラミングされるようになってきた。この傾向はこれから未来もこの方向に沿って、ずっと進化発展を遂げる気がする。その言葉はより自然言語に近いものになるであろうことだけは予感できる。

そういうトレンドがあるならば、それに従って文章を書き現したりすることが得意な人が集まれば、ソフトウェア研究開発事業も自ずとスムーズに展開するように思う。

  

2005 年 01 月 03 日 : Amazing story

稀に「奇跡」と言いたいような凄い事実や光景を見たり、聴いたりすることがある。

そんな出来事は一体どういった背景があって発生するのだろうか?

たまたま起こった偶然に過ぎないのだろうか?或いは、起こるべくして起こったのだろうか?

それが起こる理由や原因というものがあったからこそ、「現実」になったのだと信じたい。

ソフィア・クレイドルというベンチャーを経営する起業家である。将来的には自社の製品が、世界のあらゆる人に、良い意味において大きな影響を及ぼすことを、できるだけ鮮明にイメージしている。

客観的に考えれば、創業して 3 年の会社がそんな壮大なことを成し得るのは、それこそ「奇跡」かもしれない。

ベンチャー起業家として、それを確率的に稀な話で済ますわけにはいかない。必然となるようにしなければならない。

無名の時から、ソフィア・クレイドルの製品を支持してくださったお客様への責任であり、製品の研究開発に、献身的に打ち込んできたスタッフたちへの責任でもある。

どんなに偉大な発見、発明、事業にしても、最初はゼロからスタートである。「不可能」はあり得ない。私たちにも偉大なことを成し遂げる資格はある。

自分たちの可能性を信じることはとても大切なことだ。

最初から諦めている人が多いのではないだろうか。歳を重ねる毎に夢も膨らませてゆきたい。

一般に奇跡的な出来事といわれるようなことを、達成する能力とは何なのだろうか?

こんなことを真剣に考える人は本当に少ない。実践している人となればもっと少ない。

成功者の大半は、偶然という要素よりも、そんな能力の追い風を受けて成功しているのが事実だ。

人間の意識には「顕在意識」と「潜在意識」がある。

「顕在意識」とは、ごく普通に私たちが「意識」と呼んでいるもののことだ。

「潜在意識」とは、私たちが意識しえない意識のことであり、呼吸や消化、循環などの人間が生きていくのに欠くことのできないことを司っているような、存在しているにも関わらず、はっきりとその正体が分からない不思議な領域である。

偉大なことを成しえるか否かは、自分の「潜在意識」というものに秘められた力を使いこなせるかどうかにかかっている、と思っている。

偉大な功績を成し遂げた人の書物や話では、大抵この話が出てくる。例えば、モーツアルトは、作曲するときに無意識に、頭に浮かんだメロディーを超人的なスピードで次々と楽譜に落としていった。

昔から、「潜在意識」という不可思議な実体に強く惹かれていて、いろんな書物を読みながら、どうすればその力を自分のものとすることができるのか、などと思いめぐらせたりしていた。

科学的根拠に基づいた、定量的な評価結果というものは存在しない。人の行動というものは全体の90%以上が「潜在意識」というものから生まれ、「顕在意識」によるものはほんの数%だという。

人間が自分で解明することさえできない、生命の仕組みを司っているだけに「潜在意識」の力は目に見えないくせにそんなにも偉大である。

通常、学校教育の試験などで量れるのは、「顕在意識」から生み出されるほうの能力であり、それは全体の意識からすれば氷山の一角に過ぎないことになる。

勿論、学業優秀だった人も偉大な業績を残すこともあるが、学業優秀であっても、社会に出ると平凡な業績しか残せない人は、意外にも多いのではないか。

逆に、学業面ではそんなにたいしたことないのに、社会に出たとたん大きな業績を出している人が案外多い。

いろんな人を見て思うのは、恐らく、成功している人の多くは、「潜在意識」というものをうまく活かしているのだろうという仮説を私は持っている。

「潜在意識」というものは、無意識な意識なのだが、それは「顕在意識」に認識されたものが自分の頭の中にイメージされるものらしい。

いわば、最初は自分の顕在的な想像力から始まるわけだ。だから、最初に「潜在意識」に込める思いやイメージというものは極めて大切だ。

どれだけ真に良きことを前向きに、イメージできるかできないかで、自分の人生そのものが決定付けられる。

これは一つの真理であると、あえて受け止めて、会社や自分や家族のことを、前向きにイメージして思い描くようにしている。

イメージが「潜在意識」に透徹するまでには、寝ても覚めてもそれこそノイローゼになるくらい、思いをイメージし続けねばならない。

簡単なことではなく、根気のいるプロセスである。

質や量の問題もあるけれど、これを実践しているだけでも、実践しない人生と比べれば、異なってくるのではないだろうか。

  

2004 年 12 月 26 日 : Phase transition

中学生の時に理科で習った「物質の 3 態」の話はいまでも興味深い。固体、液体、気体という状態のことを「相」といい、微妙な温度と圧力の組み合わせで、物質が瞬間的に「相」を移り変わることを「相転移(Phase transition)」と呼んでいたことを思い出す。

経営というのは絵を描いたり、作詞、作曲したりとアートに似たところが多い。マニュアル通りにはいかないことが多く、相転移にも似たような微妙な違いで相が大きく転移してしまう。だから、繊細な経営センスというものをどうやって培い、あるいは磨いていくかによって、その企業の未来が決まるように感じる。

相転移の実験のように、ちょっとした意思決定のタイミングやバランスといったものが、分岐点になってしまう。また、そういったことを意識するのとしないのとでは大きな違いがある。

スピードだけを重視し、熟考せずに意思決定し、たまたま大当たりして、波に乗れることもある。

転落というものは一瞬のうちに訪れる。あれだけ脚光を浴びていたのに、人々の記憶の中から消え去っていったベンチャーは星の数ほどある。

ベンチャー起業は多大な犠牲を伴うものだ。だから、その犠牲に補って余りあるほどの宝物、煌く宝石の結晶を、一緒に創業したスタッフと共有したい。

勿論、失敗もあるだろう。

失敗や痛みの中から、未来の発展に向けての新しい芽を見出すことが出来るならば、それは失敗ではない。

成功にできるか失敗になってしまうか、境界線は、極めて微妙なものではないだろうか。これが、沸点で水が液体から気体に相転移する時のような感じで、ほんの微妙な差で、固体であったり、液体であったり、気体であったりする。絵画でも、細部にこだわる時と全体のバランスでこだわらない時とがある。

ベンチャー経営というものは、相転移の境界線上を、如何にしてうまくコントロールしながら、アーティステックに自ら成長してゆく道のりではないだろうか。

  
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