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Sophia Cradle IncorporatedPresident Blog : Sensibility

2005 年 09 月 20 日 : シフク

シフクノオト。

この連休、"Mr.Children"の"シフクノオト"を何度も聴いていた。そして CD に付属する DVD を鑑賞しながら思いを巡らせていた。

その DVD には"シフクノオト"というアルバムの音が創作されてゆく過程が記録されている。とても人気のあるアルバムだからその DVD を観られた方も多いかもしれない。

何故評価が高いのだろうか。強く感じたのは細部へのこだわりだ。しかもすべてのスタッフが楽しみながらやっている。

ベストなものを創り出す為に、何度も何度も同じ箇所をいろんなパターンで試し、その中から最上のものだけを情熱を持って音にしていくプロセスをひしひし実感できた。

翻って考えてみて、ソフィア・クレイドルのサイトやソフトについても、言葉では表現できない細かなところや雰囲気にこそ、最善を追求する姿勢がその作品の運命を決定付けるのだろう。

微妙なニュアンスにも配慮して「これでパーフェクト!」という確信と自信が持てるまで、最高の作品を創造し成長させてゆく道程が、私たちにとってのシフクかもしれないと思えた。

  

2005 年 09 月 05 日 : Beat space nine

土曜日。

近くの TSUTAYA に入った時、心地よいリズミカルな曲が何処からともなく耳に入ってきた。m-flo の "BEAT SPACE NINE"だった。フィーリングが良かったので購入。

帰宅し、早速聴いてみた。バラエティに富んだ様々な曲調が楽しめる。一曲の中にも所々に趣があり意外性を感じさせてくれる。数多くのミュージックを聴いているわけではないが、凄く新鮮に感じ何回も繰り返し聴いている。そんな風にして曲を聴くのは久々のこと。

購入者特典のサイトがあって、それぞれの曲について自らコメントする映像が観れる。徹夜でレコーディングすることも多かったそうだが、"最高に楽しめた"そうだ。それから"土壇場の集中力"。それがよく伝わってくる CD だと思った。

自分にとって 2005 年で最もお気に入りの CD となりそうだ。

  

2005 年 09 月 01 日 : 見えざるもの

飛行機の速度は毎秒 250 メートル。人間が目視できるレベルの速さである。一方、光は 1 秒間で地球を 7 週半、即ち 30 万 km / s で空間を駆けるということらしい。速度もこれくらいに桁違いの差になると人間の目で捉えられる限界を超越してしまう。

目には見えないけども、誰かが光のスピードを測定したから 30 万 km / s という数字が弾き出されたのである。最初に光の速度を測定しようと試みたのは、デンマークの数学者オーレ・レーマーで、1676年のことであったという。それは誰かが光は直進していると思い、イマジネーションしたのが切っかけとなったのであり、決してその彼が光に加速度を与えたわけではない。

個人的には光の速度の測定やニュートンによる万有引力の法則、アインシュタインの相対性理論など、人々の目には見えないが故に偉大なものの発見に驚きを感じると共に、その背景にあるものに好奇心を奪われる。

誰しもが直ぐに凄いと分かるものは確かに優れている。過去の歴史から学べる真理がある。時代を変革するような真に偉大な発見というもの。それはあの有名な"エネルギー = 質量 × 光速の 2 乗"という物理学の方程式を挙げるまでもなく、大抵の場合、人々の目には見えない。しかしこの世界に確かにそれが存在するのも明白な事実である。宇宙の時間軸で考えればほんの一瞬でしかない人生であったにせよ、その中で何かそんなものを遭遇できるチャンスほど"感激"という言葉で表現できるイベントはないだろう。

同じように"幸せのかたち"っていうのも素敵なものであればあるほど、それはすぐそこにあるのに目にしたり形にすることができない漠然としたもののようにも思える。単純な発想だけれども、"幸せのかたち"を意識してイマジネーションを働かせる習慣こそが感動的なシーンにめぐり逢うためのコツといえるのかもしれない。

  

2005 年 08 月 30 日 : Idea

ベンチャーを創めるまではクリエイティブな発想の大切さを実感できなかった。自分をお客様の立場に置いて冷静に考えてみれば当たり前のことなのだが…。同じようなモノやサービスであれば、お客様は名が知れたブランドの方を迷わず選択するだろう。

だから無名のベンチャーが独立独歩で生きていくためには、他と一線を画するオリジナリティが必要不可欠である。要するにクリエイティブな発想が求められるのだ。「クリエイティブ」とは単にありふれた言葉に過ぎない。残念ながらクリエイティブな人に巡り合える機会は滅多に無いのが実情ともいえよう。

日本の学校ではクリエイティブな発想をしてもほとんど評価されないから、その訓練が疎かになっているのかもしれない。既に定められた平凡な解に誰よりも早く辿り着く能力が際立って評価される制度である。高い評価を得ようとして、そんな能力の開発に専念し無駄な時間を過ごしていることはないだろうか。

ベンチャーを創めてから痛感した事実ではあるが、近年のモノあまりの世の中では大企業においてさえも、クリエイティブな発想が希求されるようになってきたと思える。

クリエイティブな発想をどうやって磨くかが最大のキーである。異なる分野のものごとや考え方を組み合わせることによって、偶発的に新しい発見や発明が生まれる場合が多い。しかし、その組み合わせの中でもほんの一握りのものだけが偉大な発見や発明に繋がる。

人の意識には意識出来るもの"顕在意識"と出来ないもの"潜在意識"の2つがあるという。呼吸や消化活動、心臓の運動などは潜在意識が休むことなく働くことによって可能となっているらしく、どんな仕組みで動いているのか本人ですら分からないほど秘めたパワーを有するようだ。

さまざまの分野の多種多様なものごとを、広く深く学んで潜在意識の中に蓄積すること。無数の組み合わせの冒険と意外性の発見をイマジネーションに委ねる才能。その才能を育むのは仕事に賭ける自分の熱情である。それこそがクリエイティブに生きるための条件であるような気がする。

  

2005 年 08 月 28 日 : 季節風

2005年を代表する音は"ケツメイシ"なのだろうか。いま彼らが売れに売れている。最近、「そばにいて」や「さくら」を聴いてその情景が描かれたような曲調になるほど心地よさを感じている。「ケツノポリス4」以外の曲では「よる☆かぜ」や「夏の思い出」などもお気に入り。

ネットで調べてみるとケツメイシが結成されたのは8年前。渋谷のクラブで偶然出合ったのがきっかけだった。駆け出しの頃、大物ミュージシャンのライヴのずっと前座で必死に名前を覚えてもらおうと懸命な演奏をしていた。

「ケツメイシのCDいかがですか〜!今ならサインもつけますよ〜!」

「ケツメイシ!?・・・・・・誰?」
「誰もそんなアーティストは知らないよ!!」

その当時、これがもっぱらの周囲の評判だった。

でもそれが今や押しも押されもせぬアーティスト。何故そこまで辿り着くことができたのか?それは彼らのサイトのコラムのメッセージに隠されているような気がした。

(ライヴ終了後)

「お客さんどうでした?」
−メンバーからいつも言われる第一声。

「凄く楽しんでたよ!!」

「ふ〜ん。じゃあ良かった。」

MBAなど経営に関する学問体系が存在するにせよ、ベンチャーを成功に導いてくれる本当に大切なこと。それは難しい理論の範疇を超えたこんなシンプルな感情ではないか。ベンチャー経営に携われば携わるほどそんな思いがつのる今日この頃だ。

  

2005 年 08 月 27 日 : Infinite

「おいしい牛乳はどうやったらできるのですか」
ある人から訊かれて牧場主は答えた。
「幸せな牛はおいしい牛乳を出しますよ」

至極シンプルなお話ではあるが、そうなんだ、と素直に共感した。大自然のなかひろびろとした牧場にて、気の合う仲間と語らいながら幸福に過ごす牛たちから美味しいミルクというものは生まれるのである、と。

この言葉にあらゆるものに通じる汎用性と普遍性が含まれているように感じた。一般に成功するのが難しいと思われているベンチャー起業にも当てはまると思う。

人々から喜ばれる製品やサービスを提供できるならそのベンチャーには確かなレゾンデートルがあるわけで、理論的に間違いなく存続できるし自ずと成長曲線を描くものである。

「人々から喜ばれる」ということが大切なのであるが、そうなるためには商品やサービスを提供する側が幸福であること。それが必要十分条件といっても良い。

その仕事をしていて幸福感が得られているかどうか。充実した人生を送るための秘訣なのだと思った。

  

2005 年 08 月 20 日 : Feeling

サラリーマンをしていた頃は誰もが知っているブランドを売っていた。ベンチャーはその対極にあって、誰も知らないブランドを売るところから創まるビジネスである。だからベンチャーをはじめたばかりの頃は、自社の製品やサービスを販売するのにさまざまな創意工夫を施したものだった。

その過程において思ったのは"フィーリング"という概念である。どんなものにしてもモノならば人間が作るから、それと似たものは他の人間にも作り得るという可能性を認識せねばならない。例えば、自動車にしてもテレビにしてもパソコンにしても、さまざまなメーカーが製造して販売している。

それを買う側の立場にたってみると、製品を販売する時のコツというものがつかめるような気がする。私たちはモノを買うとき、どのような価値判断で選択しているだろうか。購入するまでに少しは考えるような高価な自動車や電気製品、洋服を買う時のことを想像して欲しい。結局、何となく良さそうだから人はそれを選ぶ。

自動車なら、移動するという意味ではどんな車も変わりない。けれども、買う車はどれでも良いと言うわけでなくその車でなければならないのだ。その車に乗ってハンドルを握った瞬間に感じる"フィーリング"がきっと決定的なんだと思う。

消費者は製品に触れたとたん、本能的に作り手の思いとシンクロしそのフィーリングで購入の意思決定をしているのではいないかと思う。購入者と開発者は直接話をするわけではないけれども、製品というものを媒体にしてコミュニケーションしているように。

そんなこともあって、スタッフがどんな思いで製品を開発しているのかということはとても大切と考えている。だから夢や希望や憧れを抱いて創られた製品にはそんな想いがきっと込められるから、それは人々から選ばれるのだろう。

  
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