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Sophia Cradle IncorporatedPresident Blog : Professional

2005 年 01 月 10 日 : Diversity

ソフィア・クレイドルを創業する前から、さまざまな専門性や文化的背景を持つ、意欲に溢れた精神的に若い人たちと一緒に仕事をしたいと願っていた。そのような多様性こそが、創造的なアウトプットに繋がるのだと感じていた。

アスリートたちが、基礎トレーニングを繰り返すことで、筋力を鍛えるように、創造的な仕事をするためには、脳のシナプスを活性化したり、思考の筋力を柔軟にしたりといった種類の訓練が必要だと思っている。

いろんな考え方、発想をする人がいればいるほど、話がまとまらないという危険性もあるわけだが、意外な考え方を、相手が打ち出してくれることで、それまで眠っていた自分の脳神経が働いて活性化するのではないだろうか。

あることを、いろんな角度、観点から議論をすることで、独創的なアウトプットが生まれるだけでなく、スタッフたち全員がクリエイティブに成長してゆく。

日本の大学は、文系、理系と分かれていたり、更には学部、学科と、縦割りに細分化されている。研究内容にしても閉塞感が漂っている感がある。

ソフィア・クレイドルでは、そういう文系、理系、学部、学科、学歴、国籍など関係なく、できるだけ偏らないように、多様な人材で組織を構成するようにしている。

コンピュータソフトウェアを研究開発するのが本業であるけれども、画家や、文学、ファイナンスが専門のスタッフもいる。コンピューターを専門とするスタッフもいれば、物理学や数学が専門のスタッフもいる。日本人だけでなく、ルーマニアと中国から来日している外国人もジョインするなど、多彩な異能が集まる場を目指している。

外国のスタッフと会話するときは、日本語と英語、ボディランゲージなどが入り混じった形でコミュニケーションすることになったりするが、こういコミュニケーションが、お互いの創造性を活性化してくれるように思える。なんとなく、英語と日本語とでは使う脳のシナプスが異なるようで、気のせいか普段使っていない回路が活性化されるようにも感じる。

同じ専門どうしのものでも、観点や設計や趣味は異なっている。共通するものもあるし、異なるものもある。

以前紹介したように、アップルコンピューターの創業者スティーブ・ジョブズ氏のいうように「Creativity is just connecting things. (創造性とは物事を関連付けて考えることに他ならない)」と思う。

万華鏡のように、多種多様な視点を組み合わせながら、その中でも、最も調和がとれて、美しいと思えるものを作品に仕上げ、世に送り出したい。

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2005 年 01 月 07 日 : 馴らされた鴨

この鴨の話はご存知だろうか?

デンマークの哲学者、キルケゴールの「馴らされた鴨」の話である。一度は耳にしたことがあるかもしれない。創業以来、公私にわたってお世話になっている先輩社長からも、IBMといえば「野鴨の話」で有名ですね、といわれ驚いたりする。

実は、IBMに入社したのが、この話を知るきっかけだった。そして、星の数のように、あまたこの世に紡ぎ出されし物語の中でも、この話が私の潜在意識に強くしみこんでいるらしく、未だにその印象を忘れることができないでいる。

それはこんな内容の話だ。

『毎年晩秋の頃になると、鴨の群れは食べ物を求めて南へと旅立っていった。ある日、その土地に住む老人がその鴨の群れに餌を与え始めた。すると、その年から、冬になっても、その鴨の群れは南へと飛び立たなくなってしまった。飛ばなくとも食べ物にありつけるので、その太った鴨たちは飛ぶことすらしなくなった。そして、その老人が亡くなり、その飼いならされた鴨たちは、食べ物を求めて自分の翼で飛ぶ必要にやっと駆られたが、もはや飛ぶことはできず、全ての鴨が死んでしまったという。』

この話に感銘を受けた、米国IBM社の二代目社長トーマス・ワトソン・ジュニアは、さらに次のような言葉を残している。

「野鴨は馴らすことはできる。しかし馴らした鴨を野性に返すことはできない。もう一つ、馴らされた鴨はもはやどこへも飛んでいくことはできない。ビジネスには野鴨が必要なのである。」

この話を忘れ得ないのは、IBM時代、入社間もない頃に聴いたからだろうか。だから、サラリーマンをしていた頃も、私は、少なくとも飼い馴らされた鴨にはなりきれず、自分というものを主張する、上司たちからすれば管理しにくい存在であったかもしれない。上司にとっては、入社してそんなにも即、トーマス・ワトソン・ジュニアの言う通りの飼い馴らされない鴨にならなくても、という気持ちであったことだろう。

ベンチャーを創業した今となっては、そのような精神でもってサラリーマン時代を過ごせたことはとても幸せだったと思う。

黙っていても、毎月決められた日に、自分の銀行口座に決められた給与が振り込まれるという「飼い馴らされた鴨」のような感覚で働く習慣がついていたとしたら、ベンチャーを創業したとたん倒産、もしくは廃業に追い込まれたことであろう。

独立するということは、毎月自分の銀行口座に決まった給与が振り込まれる生活から決別するということなのだ。自分たちが創った商品を買ってくださるお客さまを創造しない限り、自分の銀行口座にお金が振り込まれることはありえない。

お客さまを創造できなければ、あとは餓え死にするしかないのである。極端な話をするならば、ベンチャー創業とは生死を賭けた戦いとも言える。

しかし、逆の視点から、この事実を眺めれば、社会的に意義のあることを成し、たくさんのお客さまを、そして仕事というものを、無制限に創造することもできる。

そうして得たお金を、社会的に意義のある、より大きな仕事に投資することによって、スタッフたちと会社はぐんぐんと成長することもできるし、その収穫を社会に還元することも可能だ。

IBMで学んだこの貴重な言葉は、ベンチャー起業の支えにもなっている。IBMで働いて良かったと実感できる瞬間でもある。「馴らされた鴨」の話は、ベンチャーが偉大な企業へ成長するための道に通じる何か普遍的な話のように思える。

同じIBM出身者でも、このトーマス・ワトソン・ジュニアの精神を信じ、ここまで本気で実践し行動している者は少ないような気がする。ある意味では、このために辛く厳しい壁にぶち当たることもある。しかし、いつか長い人生を振り返る時に、これこそが人生を豊かに有意義なものにしてくれた鍵だったと回想できる日が来ることを願いたい。

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2004 年 12 月 27 日 : The promised land

いつか「ソフィア・クレイドル」というブランドが、プロフェッショナルなプログラマーにとって「Cool」とか「Smart」を意味する「Status symbol」的な存在となる大きな夢を抱いている。

十数年前、「超一流」というものを目指して熱心にプログラミングに励んでいた。当時、プログラミングのエレガントさやクールさというものに憧れて、プログラムが我ながらカッコ良く書けた時には仕事に大きな充実感を感じていたのを思い出す。多分、作家、作曲家、画家たちが自分の納得の行く会心の作をアウトプットできた時の感覚に近いかと思う。そんな風にアーティスティックに生きていたいと願っていた。

いまのソフトウェア業界をみていて、好ましくないと痛感する風潮は、顧客の仕様通り動けばそれでよしという経営者サイドの安易な発想である。手っ取り早くお金儲けをするのなら、それはそれでよいかもしれない。しかし、そこには未来への希望やロマンが無いのではないか。

起業した理由の一端もここにある。

プログラマーやデザイナーなど関わるすべてのスタッフが、プロフェッショナルとして、現在を革新する超一流の作品を生み出して未来を創造する場にを創りたい。

大企業といえども、株式会社である限り、形式的にも実質的にも会社の所有者は株主である。株主の意向を無視することはできない。

東証一部に上場しているような大企業の株主は何を求めているのだろうか?

大半の株主は、企業の理念やビジョンを知る由もなく、ただ単に企業の株式の短期的な株価の上昇や配当といったものを求めているのが現実ではないだろうか。

大きな企業になればなるほど、そんな傾向が強い。

結果として起こっている事態は、プロフェッショナルな素晴らしい成果を求めての仕事よりは、その場凌ぎの綱渡りのような実態が多いのではないだろうか。

株式会社は、株主が会社の経営に大きな権利や影響を及ぼす。願わくば、「ソフィア・クレイドル」では、できる限り、企業理念や事業の考え方をよりよく理解し、共感してくださる方がたに株主になっていただきたい。

"ソフィア・クレイドル"に関わる皆が未来に夢と希望を抱ける会社にしたい。

  

2004 年 12 月 25 日 : Sensibility

この 1 年、主力商品をリリースアップすることなく、大幅なバージョンアップに向けて、その研究開発にステルスに没頭していた。来年の上半期には衝撃的な新商品として発表できる目処がたった。ここまで来るのに 3 年かかった。長い道のりだった。いよいよ、ワク × 2 & ドキ × 2 な新年を迎えることになる。

ベンチャーでありながら 1 年間、VC や銀行に頼らず、秘密裏にスケール感の溢れる研究開発ができた。資金繰りで奔走したことは創業以来一度もない。第 1 弾の製品 SophiaCompress(Java) がヒットしたからだ。

ベンチャーは最初のきっかけを掴めればあとはとんとん拍子でいく。ささいなことで瓦解することもあるから、何ごとも慎重に行動することも肝心ではあるが。

いま構想している携帯電話向けソフトウェアのビジネスについてまとめてみる。

今後、携帯電話向けソフトウェアの業界は 2 つの大きな課題に直面することになると見通している。それらを解決できた会社のみが大きく飛躍できるだろう。

ひとつは人の感性に響くような、新しいユーザーインターフェイス

もうひとつはムーアの法則に従って急激に進化し続ける携帯電話のハードウェアを活かす、大規模・複雑化するソフトウェアのための次世代フレームワーク。

人の「感性」に関しては、実際に様々なことを感じたり考えたりしている。その中で、以前読んだアメリカンフットボール業界で著名な鈴木智之氏の著書「勝利者 〜一流主義が人を育てる、勝つためのマネジメント〜」に興味深い話があった。


頂点に立てる者と立てない者を分けるのは何か?

それは「感性」を磨いているかどうかの差だ。

人には視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚という五感があり、「感性」とはこの五感でものごとを感じ取ること。

「感性」の豊かな人はこの五感が鋭い。

「感性」が鋭ければ鋭いほど、観察力、洞察力、予知能力、決断力、判断力、責任感、向上心、克己心など、あらゆる仕事で共通して必要となる能力が強化される。

一流の音楽、絵画、風景、料理など五感を使うものに触れて「感性」を磨くことはどんな分野であっても一流のアウトプットを生み出すための条件となる。

感性や感覚について、単純に言うと、感性というものに磨きをかけることが、より豊かな素晴らしい人生を送るための方法なのだ、と改めて確認した。

感性とは、単なる感受性ではなく、物事を心で感じ、つかみとることのできる能力という解釈で、心の働きのひとつであり、すべてに繋がる原点でもある、とされていたのがとても納得させられた。

「未来の携帯電話に相応しい新しいユーザーインターフェイスを創造すること」を一つの大きな使命としている。ユーザーインターフェイスというものは、人間の感覚に関わる部分であるだけに、利用者の生活や人生の幸せや豊かさに関わる問題に繋がるのではないだろうか。

微妙なデザインの差に過ぎないかもしれないけれど、デザインというものは、これからの時代、とても大切な要素である。携帯電話のユーザーインターフェイスのようなもののデザインに関して、私たちほどこだわっているソフトウェア開発会社は珍しい。

もうひとつの「大規模・複雑化するソフトウェアをどうやって扱うか」ということであるが、これは以前にもお話ししたように、生物のメタファーを用いるのがベストだ。

人の体は、どの一部をとってしても、人工的に創り出せないくらい複雑で神秘的な構造をしている。その原理は、遺伝子情報に従って、個々のシンプルな細胞がお互いに信号を送りあって自律的に共存し機能するというものである。

ソフトウェアが大規模・複雑化したとしても、生物の細胞のように、自律的で、シンプルな「オブジェクト」と呼ぶソフトウェアの基本単位が、お互いに「メッセージ」と呼ぶ信号を送りあって動作するようなシステムをシンプルに構成すれば良い。いわゆる、「オブジェクト指向」的なアプローチである。

BREW というプラットフォームで、私たちのようなアプローチでソフトウェアを開発し発表している会社は、世界広しといえども、ソフィア・クレイドルだけだ。

これまではインフラ創りで手一杯だった。

これからは、このインフラ上でオブジェクトたちが自律的にメッセージを送り合いながら世界中を駆け巡ることだろう。

  

2004 年 12 月 12 日 : 新しいアトリエ

新聞や雑誌、テレビ、インターネットなどのメディアを調べれば、日々、いかにたくさんの新商品が生まれているかがわかる。メディアに掲載されないものもあるから、多種多様な新しい商品が、毎日大量に誕生しているのだろう。

売れる商品というものは指折り数えるくらいしかないのが現実だ。コンビニに行くとよく分かるけれど、新商品は、いつの間にか無くなっている。書籍や CD も売れるのはほんのごく一部で、残りは売れずに返品される。

新しいものを創るには、たくさんの人とお金と時間が掛かる。貴重な経営資源を投入するのだから、なんとか有効に使いたいものである。数少ないけれども、大ヒットする新商品があるということは、ヒットする可能性はゼロではない。

世の中の動きを観察していると、画期的で革新的な新商品、つまりほんとに新しくて素敵なものは、大企業というよりもベンチャー企業から生まれるものが多い。ベンチャーという環境がそうさせているのだろう。ベンチャーといえる場所に、新しいコンセプトが生まれて、具体的な商品というかたちになって、世界にその姿を現す。

ソフィア・クレイドルは携帯電話のソフトウェアを研究開発している。

ソフトウェアという製品としての良さは、一旦完成すれば再生産するためのコストは限りなくゼロに近いということ。インターネット技術の発展のお陰で、インターネット経由で世界のいたるところに流通させることも可能である。ある日突然、世界的な企業になることも夢ではない。

ベンチャーのスタッフは、自分たちが世界を変える壮大なプロジェクトに関わっているということに、プライドを持ってもよい。

ベンチャーである以上、失敗すると後が無いというように、退路を断って仕事をする姿勢も大事である。

自分自身を背水の陣に追い込むと、不思議なことに、睡眠中も潜在意識が働いてくれて、いろんなアイディアが自然と浮かんでくる。

世の中にないようなコンセプトの新しいモノを創ろうとすれば、前例がないことだから、未完成に終わってしまう可能性もある。だが、環境次第では、不可能が可能になることだってあるのだ。

ベンチャーはそれが現実となる場である。そのたびに言葉では表現できない感動が訪れてくる。

できるだけ 20 歳前後の若者(それは、どちらかというと、実年齢より精神年齢において)を、スタッフとして採用するように心がけている。

新しいものを創造しようとすれば、経験や固定観念が邪魔をしてしまうからだ。未経験であれば、先入観がないので、新しいヒントが生まれることも多い。

限られた時間をどう活かすべきだろう?

自分の趣味に取り組んでいるときに、時間を忘れてそれに没頭していることはないだろうか。人間の脳というものは、時が経つのを忘れるくらいの時に、最もよく働くのではないだろうか。最も好きなこととして仕事に取り組んでいれば、最高の仕事ができる。「好きこそものの上手なれ」ということで、スタッフが好きなことしか仕事にしないようにしている。

苦心を重ねて完成した製品も、世間の常識からして新しければ新しいほど、採用してもらうのは難しい。新聞、雑誌、インターネットのメディアに掲載されるだけでもダメ。プレゼンやプレスリリースのメッセージを、製品開発と同じくらいよく考える必要がある。

大切な考え方は「お客様と一緒に製品を育ててゆく」ということ。

まったく新しい商品の場合、最初は作り手の一方的な思いが製品に反映されてしまう。けれども、これではお客様のニーズが 100% 満たされることは少ない。製品評価版などを、先進的なお客様に提供した後は、対話しながら、貴重な意見やニーズを取り入れてゆくことで、製品としての付加価値が飛躍的に高まる。

こんな風にして創られる製品は数少ない。だから生き残るべくして生き残るのである。

  

2004 年 12 月 11 日 : コンピューター細胞

ものが豊かに満ち溢れている 21 世紀。今ほど、創造性や独創性といったものが重視される時代はない。実際、何か新しいもので、凄く良い!と思うものしか受け入れられなくなってきている。

創造性や独創性といったものは何処からやってくるのだろうか?

何故か日本の学校では、最も必要とされる、能力や才能を伸ばすような教育や訓練がなされていない。与えれた問題をパーフェクトに解答できるか否かで、個人の評価が決まるシステムである。

大切なのはインビジブルな新しい問題に気付くことだ。

お年寄りから子供まで誰もが簡単に使えてしまう、Windows などのコンピューターのユーザーインターフェイスはどのようなきっかけで発明されたかご存知だろうか?

グラフィカルに表示されるので、コンピューターのユーザーインターフェイスを指して、グラフィカルユーザーインターフェイス、略して GUI と専門用語では呼ばれる。

GUI の基本的な原理を発明したのは、アラン・C・ケイ氏である。ジェームス・D・ワトソンが書いた『Molecular Biology of the Gene』という遺伝子生物学に関する書物からインスピレーションを得たという。

生物の仕組みは、想像できないくらい複雑である。しかし、細かくみてみると、細胞や遺伝子という極めてシンプルな単位に還元されることがわかる。

アラン・C・ケイ氏は、時の経過と共に複雑化してゆくコンピューターシステムへの問題に対して、生物が複雑性を対処する方法を応用することを思いついた。

ソフトウェアを、生物の細胞のような小さな独立した単位(モジュール)で作るような手法で解決できると考えたのだ。この単位(モジュール)のことを、コンピューター用語では「オブジェクト」と呼び、この考え方を「オブジェクト指向」と言ったりする。複雑な構造を持つ GUI も単純化され、短期間のうちに実現された。

本当に画期的な発想だった。

アラン・C・ケイ氏が遺伝子生物学からヒントを得なければ、コンピューターも今日のようには発展していなかった。

この事例から多くの示唆が得られるだろう。

Creativity is just connecting things. (創造性とは物事を関連付けて考えることに他ならない)」アップルコンピューターの創業者 スティーブ・ジョブズ氏は”WIRED”という雑誌で簡潔にこう発言している。

創造性や独創性があると言われる人は、他の人より様々な体験や経験、学習をして知識を得るとともに、そこで物事を深く感じとったり、洞察したり、新しい視点で見たりする習慣がある人なのではないだろうか。

簡単なことに思えるが、これができない人が多い。子供の頃からの型にはまった受験勉強が、創造性や独創性の阻害要因となっているのかもしれない。

追記:

創造的な仕事をするためのヒント:

Windows の GUI のような大規模で複雑なシステムをそのままダイレクトに実現しようとすれば、大半の人がその複雑性の壁に跳ね返されることになる。

アラン・C・ケイ氏が、複雑な生物の仕組みが遺伝子や細胞などの根元的には極めてシンプルなメカニズムからなることにヒントを得たように、複雑なものほど、シンプルに考える癖をつけるべきだろう。

ものごとを 100 倍簡単に考えることができれば、パフォーマンスは 100 倍となる。1 人の人間が普通の人の 100 倍以上の働きをするためのコツはここにある。

シンプルに、クールに思考する習慣が大切だと思う。

  

2004 年 12 月 10 日 : Professionality and Cradle

真にプロフェッショナルといえるような感動を創造する仕事をしたい、というのが願いであり目標である。

プロという名の付く世界では、常識といえよう。でも、ビジネスの社会ではアマチュアレベルの人が、何と多いことだろうか!

超一流といわれる大企業とて例外ではない。

サッカーにしてもラグビーにしても或いは甲子園にしても、アマチュアはプロには全く歯が立たないのが現実。アマチュアが大半を占めるのがビジネスの世界では、ベンチャーが大企業を凌駕するのは簡単である。

会社のメカニズムをプロフェッショナルにすればよいのである。プロはアマチュアに負けないから。

プロの世界では、最初から自然淘汰、適者生存の仕組みが備わっている。つまり一流でないと生き残れないという厳しい世界である。イチローのように、自分の才能や素質を活かして、たゆまぬ努力を継続することで、世界に感動の渦を巻き起こすことも可能である。得られる楽しさや達成感はきっと他に代えがたいものだろう。

スタッフのプロフェッショナリティの萌芽を育てつつ、そんな感動を体験して、いつもワクワク&ドキドキしていたい。

プロの世界では、どのように自然淘汰、適者生存の仕組みが導入されているのだろうか?

シンプルなルールがそこに在る。

サッカーの場合、レギュラーの選手は 1 チーム 11 名だ。そもそも 12 名以上選手が試合に同時に出場して戦うことは有り得ない。ということは、レギュラーポジションを巡って熾烈な切磋琢磨な競争が繰り広げられる、ということになる。

グループにしても、J リーグでは J1、J2、J3というようなグループに分けられ、成績次第で上位グループや下位グループに所属することになる。ステイタスや収入面でもその差は天国と地獄らしい。だから、選手たちは自然と努力することになる。(J3 はこれからの構想らしい。)

最近、イタリアのセリエ A などヨーロッパサッカーの舞台で世界的に活躍する日本人選手も出てきている。

会社に置き換えてみたらどうだろう。会社の場合でも、J1、J2、J3 のようなグループを編成する。プロのサッカー選手と同じように決まった定員しか、プロジェクトには関わることができないようにする。プロジェクトが、人生を賭けるほど価値のある素晴らしい体験であれば、ビジネスの世界でも、J リーグの感動を呼ぶプレーのようなアウトプットも生まれるに違いない。

そう、ビジネスだって、プロジェクトチームのメンバーで感動プレーを創ることができる。

  
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