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2006 年 06 月 07 日 : No way to say

対象とすべきものが偉大なものであればあるほど、言葉での表現は難しいものである。

「言葉にならない・・・」は、日常生活で当たり前のように使える便利な言葉だ。

僕たちもそれくらい凄いものを創っているつもりなのだけれど、それを人々に伝える難しさ、もどかしさを痛感させられる。

「言葉にならないくらい凄いソフト技術なんです」と一言で済むならば、どんなにか事はスムーズに運ぶだろう。

しかし現実はそうではなく大抵の場合、僕たちの想いをお客様のアタマにリアルな映像として再現してもらう必要がある。

だんだんと分かって来たのは、説得力のある説明を目指すよりも、自分の感性をできる限りそのまま伝えるほうが良いということだ。

そこで問題になってくるのが、自分の内にある感性が如何ほどのものかという命題である。

これまで生きてきてなんとなく理解できたことがある。

感性というものは、人に備わった全ての感覚から吸収され、蓄積され、それがアウトプットに活かされるのではなかろうかという仮説である。

だから、常日頃から心掛けているのは、どんなものでも素晴らしい物に触れる機会を絶やさないことである。

  

2006 年 06 月 07 日 : 色褪せぬもの

理想とする着地点は遥か先にあるのは確かなんだけれども、デジタルなビジネスに対する視点だけはぶれないように努めている。

大切にしている考え方は、デジタルなものは良くも悪しくも色褪せないという見方である。

いずれデジタルな情報そのものが時代遅れになる可能性はあるにせよ、デジタルな情報は変わり様がないというのも一つの真理なのだ。

時代遅れになり得ない、或いは自律的に進化発展を遂げるようなデジタルな何かを創造することができれば、と思いを馳せることもある。

永久に色褪せぬような類のものとして、クラシカルな音楽や書物を挙げることができるだろう。

天才的な閃きによって創造されたものもあろうけれど、同じ DNA を有する人々によって為しえた結果であるというのも消し去ることのできない事実である。

そこで思うのは、ひょっとして無力なように感じる僕たちにも潜在的にはそんな才能や能力が眠っているのではないかという仮説である。

果てしなく長き道のりも、最初の一歩から始まるものであり、それが二歩、三歩、・・・と連続的な軌跡として前方へと着実にひろがって行くのではないだろうか。

デジタルな仕事というものは、過去の業績を追い風にして、連続的に前進できる性格があるような気がする。

前進しているのか後退しているのか、日々の時の流れと共に生まれるアウトプットから反省しつつ、常に目指す方向に進んでいることが確認できるかが分かれ目になりそうに思えてくる。

  

2006 年 05 月 16 日 : 未来への展望

最近読んだ「広告の天才たちが気づいている51の法則」という本から。

真っ直ぐな一本の線を引くことで、次の等式は正しくなる。但し、等号は変えてはいけない。

    5 + 5 + 5 = 550

先ずは大局的にいろんな線を引いてみることから始まるのであろうが、どうすれば最短の時間で解に辿り付けるのだろうかと考えてみたりする。

仕事をしていると、実に様々な問題に遭遇するけれども、大抵はこの問題と同じようにいとも簡単にあっさりと決着するものだ。

すぐに解決するのに、何故かゴールに到達するまでに時間が掛かってしまう。

そこで想うのは、スローに時を過ごすのもたまにはプラスな効果を醸し出しているのかもしれないということである。

様々なアプローチを試しては失敗した経験も、きっと遠い未来で何らかの意味を持つことだってあるかもしれない。

  

2006 年 04 月 11 日 : 時空

昔、宮本武蔵は素手の柳生石舟斎に挑んだものの、全く歯が立たなかったという。

その時、石舟斎は武蔵に訊ねたらしい。

「鳥のさえずり、小川のせせらぎ、風の奏でる音 ・・・ これらの音が聞こえていたか」と。

武蔵には石舟斎しか眼中に無かったけれども、石舟斎は二人を取り巻く空間全体を把握していたということである。

石舟斎は大自然という偉大な力をも自分のものとしていたのだろうか。

これは、たとえば 2 次元と 3 次元の差に近い概念なのかもしれない。 3 次元の世界は 2 次元のそれを完全に覆い尽くし、遥かに広々としたイメージがある。

平面内では線で遮られていて向こう側に行けなくとも、3 次元空間ならば、その線をちょっとジャンプするだけでいとも簡単に向こう側に行けるという寸法だ。

何か素敵なモノを探している時。

次元を一つ増やして時空の場をぐっとひろげるなら、新しい発想というものはどこからともなくきっとやってくるだろう。

  

2006 年 04 月 09 日 : Shield

村上龍氏の「シールド(盾)」という本が話題らしい。読んでいないけれど、TV で紹介されている様子を興味深く観ていた。

起業すれば何でも自由に決めれる代償として、自分の身は自分で守らなければならない。

大企業で働いていると、自分に迫る危険や危機は全くといっていいほど無頓着になる。

何故なら、大企業という SHIELD が安全地帯を形成して自分を守ってくれるからである。

それでは自然界はどうだろうか?

あらゆる生き物は自分の身は自分で守っていると言えないだろうか。

外敵から身を避けて命を守らねばならない、厳しい環境にある野生の生き物ほど周囲のあらゆる動きや気配に鋭敏である。心であらゆることを察知しているようにも思える。

21 世紀の高度情報化社会では、人の心に深く共鳴する何かが求められるに違いないと思う。そもそも僕自身がそんなモノを求めている。

それを実現するのに絶対に必要なのは、研ぎ澄まされた感性そのものであると考えている。

どうすればそんな感性を自分のものにできるのだろうか?

そのヒントは、 SHIELD が外された大自然に生きる生命と同じ境遇にこの身が置かれるあたりに隠されていると思う。

  

2006 年 03 月 31 日 : アシンメトリ

モノやサービスを売る人がいて、モノやサービスを買う人がいる。

概して、「売る」のと「買う」のはどちらが大変だろうか?

お金さえあれば「買う」のは誰にでも容易い朝飯前の話だ。

「売る」というのはそんな訳にいかない。「買う」の同じくらい簡単なら誰もベンチャー起業で苦労はしないし、きっとドリームゲートの存在も有り得ないだろう。

けれども、よく考えてみると、買った時に支払われるお金の総計と売った時に得られるお金の総計はイコールなのである。

この事実は一体何を意味するのか?

恐らくは、世の中の経済原則のひとつである、富の一極集中という現象の本質なんだろう。

「お金を稼ぐ」という観点から考察するならば、「モノやサービスを買う」のと同じ感覚で、ナチュラルに「モノやサービスを売る」という流れも創り出せるという意識は外せないかもしれない。

  

2006 年 03 月 30 日 : 綴れ織り

絶え間なく意識するのは未来にひろがる雄大な空間のイメージ。

想像したとおりに事が運ぶと良いのだけど、これが意外と難しい。

アタマの中でイメージしていることは言葉や絵やリズムで 100 % 再現するのは不可能に近く、行動を共にするスタッフに完全に伝えることができなくて歯痒い時もある。

でも問題意識があるかないかで結果も違ってくると思う。

電話にでることもなく、外出して人に会うこともない。来客のアポイントメントも滅多に受けない。

僕にとって、いまはそんな時期なのだ。

できるだけ独りになって自分の魂と向き合い、世の中で種種雑多に起こる出来事の本質を捉えることがいまの僕の課題である。

とりわけ、インターネットをどのようにドライブするかが関心の的である。

創業して 5 年目ともなると、振り返ればこれまでに作成した Web のページの量に達成感はあるが、質という面で改善の余地がまだまだ充分ある。人の心や美意識にかかわる何かを補強したい。

極論を言えば、理想と現実とのギャップを如何にして埋めるかだけで忙殺されている毎日だ。

段々と分かってきたのは、僕がプロデュースしようとしているビジネスは Web をメディアとして、お客様と僕たちの心と心が紡ぎだすタペストリーのようなものなんだということである。

肝心なのは、出来上がったタペストリーの美しさにあると考えている。

自分たちと見知らぬ誰かと奏でるハーモニーとも言える。客観的には偶然の産物と思われるかもしれないが、この上なく調和がとれて至上のものを意図して創り上げたい。

妥協することなく自分たちの主張を情報発信すれば、世界にいると言われる 64 億人の誰かにはきっと届くに違いない。

最高のお客様はどことなく僕に似た人。だから自分の信じるものについての情報発信が大切になってくると思う。

友達の友達を辿れば 6 ステップで世界中の人々に繋がるという。だから最初から全ての人々を対象にする必要はない。自分自身が最大の顧客であるとして行動するのもきっと間違いではない。

Winny 事件を発端として、ネットに発信した情報は永久に物理的に消去することのできない事実が常識となりつつある。

今は理解されなかったりしても…。

間断なく永遠に続く未来の広大な空間で何が起こるのか?

それは誰も単純明快に決して断言し得ない世界でもある。

インターネットというものは時空を超えて、人と人を繋ぐ役割を担うという認識が新たな発想を導いてくれる。

お金は使えば消滅してしまうが、情報は使われれば使われるほど、そして他の情報と重層的につづれおりを成して美しく洗練される永遠の性質を帯びている。

たぶん、僕が目指している世界というものはそんな方向に進んでいる。

  
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