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Sophia Cradle IncorporatedPresident Blog : 2006年03月

2006 年 03 月 25 日 : Inspired

あまりも小さくて肉眼で確認することは叶わない。けれども、人の DNA (遺伝子) は、A(アデニン)、G(グアニン)、C(シトシン)、T(チミン)というたった 4 文字のアルファベット、約 10 億文字で記述される。その遺伝子を解読することで、その人の過去、現在、未来も分かるらしい。

とりわけ興味深いのは、地球上の全ての生命も DNA を持ち、ほとんどの情報が共通するという点である。まして、人と人とでは、その違いを認識するのさえ困難なほどではないかとすら思えてくる。

そこで疑問が浮かぶ。

人が生涯に渡ってアウトプットするものの量と質における顕著な差である。その人をプログラミングしているはずの DNA がほとんど同じなのに、結果が甚だしく異なるのは明らかに矛盾している。

それを生じせしめる正体は一体何なのか、ということが分かれば、明るい将来を展望できるかもしれない。

DNA に関する書籍を読んでいて面白いなと思ったのは、10 億文字の遺伝子情報は「ブリタニカ百科事典」であれば 10 セット分にも相当するらしいけれど、ほとんどの情報はスイッチが OFF になっているらしい。

要するに貴重な情報の大半が眠ったままであるらしいのだ。

ポイントは、眠ったものをどうやって呼び起こすかというあたりに絞られるようにも思える。

"inspired"という言葉がある。この英単語はまさしくそれを表現しているかのようだ。

経営、音楽、絵画、文章、プログラミング、デザイン、スポーツ、 ………

人はいろんな分野で、さまざまな『超一流』を知ることで、自分の中に眠っていた生まれながらの才能が覚醒するのではないかと僕は思っている。

超一流に触れた瞬間、最初から自分の心の中にあった何かがカタチになり、アイデアとして具現化する。

そんな経験はないだろうか。

素晴らしきものを創造するための大きな手掛かりなると僕は考えているのだけど、そのためには、『超一流』と言えるものを感じとれる感性を磨く必要がありそうだ。

* inspired : filled with creative power, full of a spirit that leads to outstanding achievements, produced as if by or with the help of inspiration

2006 年 03 月 25 日 : 交換法則

集合 S に 2 項演算 "·" が定義されているとき、 S の任意の 2 元 a, b について

     a・b = b・a

が成立するならば、この演算は交換法則を満たすという。このとき、演算は可換であるともいう。(Wikipedia より)

例えば、整数の足し算と掛け算については交換法則を満足するので、これらは可換である。

抽象的に考えれば、ビジネスの財務諸表に現れる全ての数字は、整数の足し算と掛け算をした結果に過ぎない。

すなわち、ビジネスのほとんどの出来事は可換であり、2 種類の事象 "a" と "b" があったとき、"a・b" と "b・a" のどちらを選択するかが経営者のセンスと言えるかもしれない。

例えば、3 つの事業を展開し、それぞれの事業で 1 億円の売上を上げて総売上 3 億円とする経営者もいれば、ひとつの事業に絞って総売上 3 億円とする経営者もいる。

或いは、100 名の社員を雇って、1 人あたり 1000 万円の売上で総売上 10 億円とする経営者もいれば、10 名の社員だけを雇って、1 人あたり 1 億円の売上で総売上 10 億円とする経営者もいる。

財務諸表の結論を眺めた瞬間は、どちらも結果は同じである。けれども、どちらの会社に未来が拓けているのかという問題意識が重要だろう。

2006 年 03 月 24 日 : Evolution

今から 30 年余り前の、1975 年 2 月。

ビル・ゲイツとポール・アレンはアルテアという名のマイクロコンピューター用BASICを完成させた。

アルバカーキという砂漠の地にて、 ポール・アレンはアルテアに

     "print 2 + 2"

というメッセージを送ると、

     "4"

という返答のメッセージがアルテアから返ってきたという。

事実上、今日の「マイクロソフト社」が生まれた瞬間である。

     " 2 + 2 = 4 "

至極当たり前のことで、何ら特別な感情を持ち得ない出来事と思うかもしれない。

     当然の結果じゃない?

     どこが凄いの?

     ちょっとショボイね。

        ………

一般的な見方というのはきっとそんなところに落ち着くであろう。

でもベンチャーというのはそんなにも小さなところから出発し、時と共に進化発展してゆくのが真実の姿である。

どんな偉大なものにしても、創世記の実態というのは全然大したこと無いかのように見える。学ぶべき教訓は、数十年、数百年後にそれがどんな風に大変貌を遂げるのかというビジョンである。

恐らく、質問 "print 2 + 2" に対するアルテアの回答 "4" という数字記号に、ビル・ゲイツとポール・アレンは今日のパソコンの姿を思い浮かべたに違いない。 

目前の現実を直視するよりかは、イマジネーションを全開させてその先に待っているものをビビッドに観ることもベンチャー起業家には欠かせない才能と思う。

* evolution : the gradual change and development of an idea, situation, or object

2006 年 03 月 24 日 : Motive

『何故そのベンチャーを創めたの?』

簡単な質問ではあるが、論理的な矛盾で破綻しないためにも押えるべきはこの質問に対する単純明快、シンプルな答えであろう。

     「自由に生きたい」

     「才能を伸ばしたい」

     「人の役に立ちたい」

     「金持ちになりたい」

     「社会貢献したい」

     「人を驚かせたい」

     「人を楽しませたい」

     「有名になりたい」

     「大きなことを為したい」

        ………

人それぞれに起業の理由はさまざまで、一概にどれが正しいと言えるものではない。

それは、もしベンチャーに人格があるとするなら、人格を定める類の質問なのだと思う。

日によって人格が変わる人は精神的に病んでいるように、それは法人である企業にも当てはまることである。

考え方やポリシーが首尾一貫しているから、企業は安定的に成長するのだと僕は思う。

その意味において、統一感のある企業コンセプトはとても重要で、その発端は冒頭に記した質問である。

自分が確かに生きている実感を得るために僕は起業した。

残念ながら、「世のため、人のため…」というような大それた目標の域にまで全然達していない。

個人的に思うに、先ずは自分が自立し、己の人生の目的を達成出来たとして、それは考えるべき命題と見なしている。

ただ、独りで生きている訳ではないので、世界全体を俯瞰し時代と共に移り変わる世の中を眺め、一歩でも良き方向に自分が持てる才能をできる限り発揮するようには努めている。

僕の起業の動機は極めて個人的なものである。自由に思うままに自己の才能が最大限活きる場で自分を試してみるということである。

たまたまそれに共感して価値を見出す人がいれば、その人が行動を共にするスタッフになっているかもしれない … というような極自然なスタイルが理想である。

ベンチャーは、動機に始まり、そして動機によって完成されるように思う。だから、それはいつも大切にすべきであるし、真剣に考えるべき事柄でもある。

* motive : the reason that makes someone do something, especially when this reason is kept hidden

2006 年 03 月 24 日 : マーケティング

「企業は、その目的が顧客を創造することであるがゆえに、二つの、いや二つだけの基本的な機能をもっている。それはマーケティングとイノベーションである」とP.F.ドラッカー氏はいう。

たった二つの基本機能しかないにも関わらず、冷静に周囲の企業を見渡せば、二つがバランスの取れた企業は滅多に見掛けない。

マーケティング、もしくはイノベーションのどちらかに甚だしく傾いているのが現状ではないだろうか。

P.F.ドラッカー氏のいう、マーケティングとイノベーションのバランスを僕は何よりも大切にしている。

根本的な原理原則にも拘らず等閑にされていることは、他と比較して相対的に百戦百勝の勢いで経営するための能力を獲得したに等しいからだ。

ソフトウェア業界では、技術志向の企業はイノベーションに没頭するあまり、マーケティングが貧弱である場合が多い。

ソフトウェア業界のサイトについて、デザイン、文章、構造、ナビゲーションなど、どうだろうか?

これはよく出来ているということで、それを参考にしてサイトを設計し構築したいと思えるのはごく僅かではないだろうか。

昨年サイトリニューアルのためにいろんなサイトを研究していた頃、僕はそんなサイトをソフトウェア業界に見出せなかった。

デザインが良かったり、製品情報以外に役立つ情報を発信をしていたり、製品マニュアルを公開していたり、製品価格を公開していたり、日本語だけでなく英語のサイトを公開している例はあまり見当たらない。

この業界はそのような切り口では競争レベルが極めて低いと言えるかもしれない。

確かにプログラミングを趣味とし得意とする者にとって、テクノロジーの追求は楽しいものである。だけど、たとえ世界に誇れるほど、もの凄い技術が生まれたとしても、それが売れなければそれは自己満足でしかない。

人々に好んで選ばれ売れ、そして使われることに意味があるのであって、未来への飛躍はそれを起点にして創まるのである。

ソフトウェア業界では、他の会社がマーケティングが等閑になっているだけに、ほんの少しそれに努力を傾けるだけで収穫は予想以上にあると思う。

それはこんな例えが分かり易いかもしれない。100点満点で、数学が 90 点、英語が 5 点であったとする。

上限が 100 点であるだけに、数学を 95 点にするには大変な努力が要求されるが、英語を 10 点にするのは容易い。しかも前者は相対的に5%弱の点数の上昇に過ぎないけど、後者は 100 %の点数の上昇なのである。

5 点であるマーケティングに少し注力し、10 点にまで向上させる努力で得られる成果は桁違いに大きい。

2006 年 03 月 23 日 : Prelude

ハードからソフトへ。

いま僕たちは、旧時代から新時代へと移り変わる狭間に置かれているようだ。

手掛けている事業がソフトウェアだけにより一層増幅されたイメージが脳裏に描かれるのかもしれないが。

もし仮に時代がそんな変革の時期を迎えているとするならば、僕たちのようなベンチャーにとっては千載一遇のチャンスであり、これを逃す手はない。

果たして一体全体どうすれば時代の波を捉えることができるか、である。

ひとつのヒントは「ソフトウェア」というものの性格を辿ることで、時の本流へと合流できそうな予感が微かにある。

ソフトウェアの一種であるプログラムは、人の頭脳の中に想い描かれた様相をアルファベットや数字などの記号で表現したものである。

突き詰めて考えてみれば、極めて精神性の高い仕事であり、人の心を映す鏡のような存在と捉えることもできる。

だから、プログラミングの仕事で感動や感激を呼び起こすほどの立派な成果を挙げようとするのならば、それに携わるスタッフの精神状態こそが全てである、と僕は考えている。

それは、どうすれば理性、知性、感情、感性などの心のコンディションをベストな状態に保てるかということである。

自然界で見かける生命の姿には、伸び伸びと活き活きとした雰囲気が感じ取れる。

そんな生命はどんな宿命を持って生きているのだろうかということを考えてみたりもする。

おそらくは、自分に与えられたミッションを全うすべく、ただ周囲の環境に身を委ねて川が流れるように自然に振舞っているのではないだろうか。

誰しも心のなかに、人それぞれにユニークな夢や希望がきっと潜んでいると思う。

ソフトウェアとは、プログラミングの場合、そんな夢や希望をアルファベットや数字という記号で表現したものである。

心に想い描いたイメージをどれだけ正確に素直に記号で表現しうるかが最大のキーファクターである。思っていることを文字や記号で表現するのは極めて難しいのだけれども、どうすればそれを達成できるかなのだ。

それこそがソフトウェア業で曲りなりにも生きてゆくための条件となる。

自然の世界と対比して得られる発想とは、ソフトウェアという性格故に、個人的に心底信じるものをとことん追究する姿勢だけが道を拓けてくれるという信念である。

それは自分にとって最高傑作といえる何かを創造する上で、前奏曲に相当するものかもしれない。

2006 年 03 月 23 日 : Absorption

平凡なモノを作っている限りずっと零細のままである。何か一点でも良いから非凡なモノが欲しい。そして新しい世界へテイクオフしたい。

いつもそういう願いを心に秘めて仕事に臨んでいる。

「これってひょっとして凄いんじゃないの?」というような、知る人ぞ知る、意外な驚きを創造したい。しかも、ナチュラルに、自然なスタイルで。

その方法論が会得できれば、主観的な世界も違って見えてくるような気がする。

外せないポイントはその仕事に「熱中」できるかどうかにあるだろう。

英語でコミュニケートする海外のスタッフもいたりするので、いろんなキーワードについて、「それって英語で何というのかな〜?」と気になる習性が身についてしまった。

「熱中」という単語は、和英辞典で調べてみると、 "absorption", "enthusiasm", "craze", "mania", "passion" など様々な訳語があるようだ。日本語だと、「夢中」、「熱狂」、「集中」、「熱心」とかが同義語である。

同じ内容の言葉でも、実に様々な単語があるものだと感心してしまう。

英英辞典を調べば、更にそれぞれの言葉のニュアンスの違いとかが解説されていて興味深い。

正確な意味としては確かに異なるのだけれど、言葉を使う瞬間というのは感情を込めて、それは発せられるように思う。

微妙に似た言葉でも、その文字の形や発音した時の響きから、人はその雰囲気を本能的に悟るのかもしれない。

「熱中」することで最高の結果を導き出すことができると思うのだけど、それでは「熱中するってどんな風に?」と時々考えたりする。

それは対象とするものが自分の体の一部のように思えるかどうかだろう。

"absorption"っていう英単語は、そんな雰囲気を意味する「熱中」らしい。

ロングマン英英辞典によると、"a process in which people or things become part of something larger"とある。

手、足、頭、… 人の体は多種多様な器官から構成される複雑系の世界である。どれひとつ取ってみても、メカニズムは複雑難解で人知を超える領域も多い。

不思議なのは、そんなにも神秘的なモノを実際に機能せさているのが人であるという点である。

仕事もそんな風に、自分の体の一部と錯覚するくらいに無意識のうちに取り組めば、何か素敵なモノが生まれるかもしれないと期待している。

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