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Sophia Cradle IncorporatedPresident Blog : 2005年02月

2005 年 02 月 15 日 : 日本語小論文 評価採点システム

今日の朝日新聞の夕刊一面に「日本語小論文 評価採点システム」という、なんとなく面白そうな文章を採点するためのシステムを見つけた。その記事によれば、学生の小論文試験の答案の評価を人手に頼らずに客観的に公平に実施できる点が画期的だという。

インターネットでも一般公開されているから、例えば、私たちも日々の自分のブログの文章を採点したりして今すぐ試せる。将来、ひょっとすると、このような仕組みもBLOGにあれば便利かもしれない。誰にも読みやすくブログの文章が簡単に作成できる可能性を秘めている。未来のBLOGには無くてはならない必須の機能にもなるかも…。意外に、理解しやすい文章を書くのはとても難しい。そのために、自分のブログの文章を公開に踏み切れず、躊躇する人も多いのではないか。

もし分かり易い文章を容易に作成するための支援システムがあれば、自分の主張や意見を気軽に表現し情報発信することもやりやすくなる。

一体どういった基準で文章の評価がなされるのか、その詳細な論理を私はよく把握していない。しかし、研究の成果から生まれた一つの結果として、その未来がなんとなく感じ取れる。使ってみて思ったのは、意外にその評価精度は高そうだということだ。

カラオケの装置に搭載されている、歌の巧さを競うための採点システムのような感覚で楽しむこともできるだろう。文章力を向上させるために、この種のシステムがもっともっと進化発展し、いろんな人々に活用される時が来ればいいかもしれないと思った。

この「日本語小論文 評価採点システム」は下記のURLから試せる。 

  http://coca.rd.dnc.ac.jp/jess/

自分や他人のブログやホームページの文章などを採点してみたりすることでちょっとした暇潰しもできる。より良い文章を書くための励みのツールとして活用することもできる。質問文の欄のところは何でもいいから適当に文字を埋めておく。内容はともかくとして一応、文章自体の美しさや論理性についての判定はしてくれる。文章の味わいなどは分からないが、誰にとっても読みやすくはなるかもしれない。

修辞の部分に関しては、難しい漢字が少ないとか指摘されるが、どんな基準で判定しているのか定かじゃないが、そんなことまでチェックしてくれる。

2005 年 02 月 15 日 : スタートライン

会社を設立した 3 年前が懐かしい。H 君と Y 君は未経験でいきなり製品の研究開発リーダーとして仕事を始めた。当時まだ 20 歳だった。普通であれば、大学でのんびり遊んだり勉強したりして過ごすだろう。

彼らはその中で仕事をするというシーンも自分の生活に取り入れた。3 年の時を刻んだ。3 年で彼らは技術的にも人間的にも想像以上に大きく成長したように実感する。若ければ若いほど、その成長のスピードというものは速いんだと改めて感じたりする。

大学院への進学率が高まっているから、今ではもっと顕著だと思う。私の頃は、理科系の学生は大学院を卒業してから会社に就職するのが専らのコースだった。浪人や留年をせずにストレートであったとしても 24 歳になってしまっている。ダブル人もかなりいる。だから、平均して 25 歳になってから、社会人となって働き出す。ところが、大企業に就職して先ず発生する問題がある。それは大学院時代の専門と実際の仕事の内容が異なることである。それで、就職して一から勉強しなおすパターンが多い。それだけで、更に 1 〜 2 年も余計に時間が経過することになる。

勉強が順調でも大企業であるほど、先輩に相当する社員がたくさんいる。たとえ実力があったとしても、入社して早々先輩を追い越して仕事をするようなことは滅多にない。IT が発達した昨今では、仕事というものは年齢に関係なく、できる人にはできる時代になった。でも企業の体質が古ければ、若い時期から先輩を飛び越えて活躍の場を与えられるケースは少ない。

先輩を追い越すほどの才能が最初から無ければ何も問題はない。だが、その人に類稀な才能がある場合は不幸なことになりうる。相応しい仕事が与えられなければ、彼は、企業に入った最初の数年間は無意味な時間に思えたりする。その間に多くの真に有能な若手人材が優秀であるほどスポイルされていく運命もよくある話。

ハイテク系の仕事というものは、若い頃にもっともハイパフォーマンスで活躍できるような類のものだ。プロフェッショナルなアスリートやミュージシャンの世界と似ている。しかし、日本の大企業の場合、20 代頃というのは、入社してから専門の勉強をしなおしていたり、先輩の補助的な仕事をやらされるケースが余りにも多い。業務マニュアルに則って仕事をすれば、全体としては回るような仕組みなっている。だが、クリエイティブな人にとってはマイナスの部分が余りにも多い。ことその仕事に関しては平均値よりも遥かに上回るような実力を持っている人にとっては、大企業というのは不幸な結末になる場合が多い。

ベンチャーの場合、そのあたりのことを柔軟にできる点がメリットだ。伸び盛りの 20 歳のころから実践的な仕事ができる。23 歳にして京都府から技術的な貢献が顕著であったということで表彰もされるくらい活躍できる。スマッシュヒットを放つような仕事でなければ、本人もベンチャーも登龍門に立てない。ある意味では真剣勝負だ。しかし、名よりも実を追うベンチャーだからこそ、無意味なことを省いて経営できる。そうすることで、逆説的ではあるが余裕やゆとりを持ちながら、たまには一息つくこともできる。意外にも、それが次のブレークスルーへと繋がってゆく。

これから大企業に入って、勉強しなおし下積み生活をする人たちよりも何年も前から、実社会で役に立てるような仕事で成果をあげれる。それこそがベンチャーの醐醍味でもある。H 君や Y 君などの若きスタッフたちは、これから次の 3 年で技術的にも人間的にも更に成長するだろう。だから、世界的に通用するような技術開発もきっと可能である。いまは次の世界の桧舞台への進出に備えているところだ。これまでは日本国内での活動が中心だった。いよいよ世界へデビューする準備が整いつつある。世界レベルの戦いは熾烈なだけに若さが大きな武器になり得る。

いまの理科系の学生は、どれくらい世界的な視野を持って、生涯に渡る研究職としてのキャリアパスを明確にイメージしているだろうか。何を目的にして大学院に進学し、企業に就職するのだろうか。自分の長期的な人生における夢と希望を考えて、20 代、30 代、40 代、・・・とどのように過ごす結果になるのかを鮮明にイメージしている人は残念ながらとても少ない。そんな背景もあってか、最近の傾向として日本から偉大な技術者が生まれにくいような環境になりつつある。

他の業界でもそうかもしれない。少なくともハイテクに関わるような人の場合、特に 20 代をどのように過ごすかで自分の人生が決定付けられる場合がほとんどだ。拙い経験から言えば、20 歳の頃から実際に働いて、実感できるような具体的な成果を着実に積み重ね、それを本職にするということは大切だ。それは世界レベルで超一流の仕事を成し遂げる上で絶対的に有利であるし、必須条件である。

全ては絶好のスタートラインに立てるか否かにかかっている。

2005 年 02 月 14 日 : アントレプレナー

既に完成されている企業で働くということは、確立されたフレームワークの中で行動することを意味する。自分の意志に反して無理してその枠組みに合わせて働くなら、その人が潜在的に本来秘めている可能性が発揮されずに終わってしまうことだってある。逆に、フレームワークが存在していてそれが素晴らしいものなので、適する方向に向けて自分の才能をもっと発揮することもある。

要は自分の適性に合わせて、会社を選べば良いのだけれど、優秀といわれている人ほど、自分の力が十分に発揮できる場について、真剣に考えずに重要な人生の選択をしてしまっている。厳しい局面に自らを置くことによって初めて自分の才能に気付くことは意外に多い。それをきっかけにして世界が変革されることも充分にありうる話だ。

未来が見通せる安定した組織は見かけは良いかもしれない。しかし、仮に自分が本来やりたかったことがそこでは実現不可能であるならば、人生を嘆くことにもなりかねない。「自分の人生について」は意外と自分では分かっていないことが多い。例えば、受験で滑り止めのつもりで受けたところのほうが、自分に合っていて幸せに過ごせることもあるものだ。

テレビCMで頻繁に流れるような大企業というのは確かに素晴らしい会社である。しかし、どんな組織にも始まりがあって、終わりというものが存在する。そんな大企業でさえいずれ崩壊することだけは確実だ。世界的なローマ帝国にしても、モンゴル帝国、イスラム帝国などなど、全ての組織にはかならず終焉がある。そして、同時に新しい偉大な組織の萌芽が生まれている。

だから優秀な人ほど、崩壊してゆく合わない組織にしがみつくのではなく、新しく次の時代を切り開く組織を創る仕事に打ち込むべきだろう。新しい偉大な組織が生まれない限り、日本は時間の経過と共に衰退の道を辿るのではないだろうか・・・。

第二次世界大戦直後こそ、SONY、HONDA、京セラなどの世界的に巨大なベンチャーが日本においても育った。しかし、それ以来、それらを凌駕するようなベンチャーが生まれていない。そういうこともあってか、90年代以降日本においては全体的に不景気である状態をずっと脱していない。

今後、日本がもっと大きく発展するためには、高い志を持つたくさんのアントレプレナーが育つような環境を整備することが重要であろう。そして、日本を代表し、広く世界でも活躍するようなスケールの大きなベンチャーが、昔のようにもっとたくさん生まれることを願いたい。

自分の貴重な才能を自ら伸ばすために、大切な時間を費やすべきであろう。実質的に社会に役立てるためには何をなすべきかということを、他者に頼らずもっと自分自身に問うべき時代にきている。それこそが、幸福な人生を送り、そして希望と夢のある未来を創るためのキーになるように思えて仕方ない。

2005 年 02 月 13 日 : ブレークスルー

フェルマーの最終定理とは、

「3以上の自然数nについて,
  (Xのn乗)+(Yのn乗)=(Zのn乗)
を満たす自然数(X,Y,Z)の組み合わせは存在しない」

という定理である。1637年頃、フランスの法律学者にしてアマチュアの数学者ピエール・ド・フェルマー氏が、ギリシア時代の数学者ディオファントス氏の「算術」という数論の本を読んでいた時に思いついた定理らしい。

それから350年以上の時を経て、この定理の証明は1995年5月にプリンストン大学のアンドリュー・ワイルズ氏によって初めて完璧に証明される。

フェルマーの最終定理は「ある楕円方程式のE系列は、どれかの保型形式のM系列である」という「谷山・志村予想(1955年9月)」という問題に帰着され、それを証明さえすれば良かった。アンドリュー・ワイルズ氏はこの「谷山・志村予想」を証明したと言うことになる。

世界的に有名な数学の定理の証明に、日本人が立派な貢献を果たしているのが感慨深いが、偉大なブレークスルーを生み出すヒントのようなものをこの証明の連鎖から学ぶことも可能である。

詳しくは知らないが、おそらく「谷山・志村予想」を発表した志村五郎氏と谷山豊氏の2人は、「フェルマーの最終定理」を証明するためにこれを発見したのではないと思う。しかし、偉大な「フェルマーの最終定理」を証明する上では必要不可欠なものであった。そのことを発見した(1984年)のはゲルハルト・フライ氏で、さらに「フェルマーの最終定理」が「谷山・志村予想」に帰着できる(1986年)ことを示したのはケン・リベット氏という人だったらしい。そして、1995年にアンドリュー・ワイルズ氏が「谷山・志村予想」を証明することでフェルマーの最終定理を証明した。

このように、ブレークスルーというものは、後から考えてみると、一見無関係に見えるもの同士の融合から生じているのかもしれない。いろんな色の絵の具の配合の仕方次第で、様々な美しい色を創り出すのとなんとなく似ている。それには配分や調整も必要と思う。

ハイテクベンチャーの場合は、その事業の根幹とも言えるテクノロジーのブレークスルーを生み出せるかか否かでその未来が決まってしまう性格を持っている。ブレークスルーというものは、単に長時間労働をしていれば生まれるものではなく、何らかのセンスとか感性といったものが何よりも大切になってくる。

その条件とは何であるかを、ハイテクベンチャーの経営者は常に自分に問わなければならないだろう。今のところ、ソフィア・クレイドルは、携帯電話向けのソフトウェア研究開発事業を展開している。まず第一に、所属するスタッフが自ら好んで、自分の研究開発テーマを見出すスタンスが重要ではないかと思っている。それから融合という意味においては、単にソフトウェアという分野だけにとどまらず、さまざまな分野の学問や芸術、遊びに興味を持っていることも大切と思う。実際に、仕事や技術の話だけでなく、映画や音楽やサイエンス・フィクションや世界の不思議な話なんかが飛び交っている。そして、いろんな文化背景をもった尊敬できるスタッフたちとの交流は、お互いに刺激的な新しい何かを見出せる可能性が高い。

2005 年 02 月 12 日 : チャンス

ソフィア・クレイドルというベンチャーで携帯電話向けのソフトウェア事業を展開している。数え切れないくらい、たくさんのいろんな事業がある中で、自分がなぜそれを選択したのかという理由を明らかにしておくことは、ベンチャーを始める上で極めて重要なことではないかと思う。

この起業家100人挑戦日記を連載している起業家にしても、誰一人として同じ事業をしている人がいないくらい、世の中には様々な事業が存在している。けれども共通して、そのベンチャーが成功するかどうかは、その最初の選択によって決められているようにも思える。何故なら、自分の原動力の問題だからだ。

周囲のベンチャーを見ていて思うのは、なんとなく儲かりそうだから、たまたまチャンスが転がっていたからという理由でそのビジネスを始める人が多いようだ。だが、経営というものはそんなに甘くはないので、必ずと言っていいほど悪いときがやってくる。その時にどのようにして凌ぐかというのが、重要なポイントになる。それこそが試練であり、同時に真のチャンスと言えるのかもしれない。そしてその壁を乗り越えることによって、自らも脱皮しスタッフたちと共に会社は成長してゆくのだろう。

チャレンジすることは良いことだけれど、明確な理由無くなんとなくで始めたベンチャーは、事業の環境が悪くなった時にそれを乗り越える力が弱いのではないか。

大切になってくるのは、心の底からその事業をやってみたいと思えるかどうか、それから一緒に事業をやるスタッフたちにすべてを賭けることができるかどうかをよく問うことであろう。これらは、数理科学がシンプルな美しい数式で複雑な事象を表したり、帰納と演繹の繰り返しによって学問が発達するように、自らの心の中で、延々と語り尽くすことの出来ないくらいのことがらに、たったひとつの単純な答えを見つけ出せるかどうかに掛かっているのかもしれない。

マイクロソフト、Yahoo!、Googleなどのいまや巨大な企業へと成長した米国の偉大なベンチャーにしても、創業当初は、誰も見向きもしないような馬鹿げた事業だと思われていたものが、今日のように成長しているのである。

不思議な話だが、最初は期待されていない事業ほど将来的には大きなものへと成長する可能性が高いようだ。そんなに期待されない事業だけに、大成功といえるようなポジションに到達するためには、多くの時間と労力が要求される。そこに辿り着くためには、事業そのものが大好きであること、それからそれによって、世の中が良い方向に変革されることに喜びを見出せるような姿勢が大切になってくるだろう。

2005 年 02 月 11 日 : 海外交流

今年も海外からインターンシップ生を受け入れようと考えている。日本とは異なった環境、文化、教育で育った人たちとの交流はいろんな意味で刺激的だ。英語によるコミュニケーションが多少面倒ではあるが、それを遥かに上回るメリットがあるのは事実だ。

去年初めて、ルーマニアからインターンシップ生を受け入れた。彼は今月で研修を終えることになっている。来日してから、まもなく一年が経過するのだが、この一年で彼はいろんなことを学んだ。そして、私たちもいろんなことを学ばせていただいた。とても感謝している。

就労VISAが取得できれば、弊社に就職するはずだった。しかし、残念ながら入国管理局からそのVISAの発行を拒絶されてしまった。現在、彼が持っているVISA(研修ビザ)の関係で、一旦帰国し一年間は本国ルーマニアで、日本で学んだことをスキルトランスファーをせざるを得ないらしい。将来的にもずっと彼とは良き関係を保ちたいと考えている。できれば、一年後には、日本に戻って弊社で正社員として働いてもらいたいと思っている。

さて、海外からインターンシップ生を受け入れるメリットだが、こんなことをあげることができると思う。

1.海外の人と日本人がお互いに異なった発想をぶつけ合うことで、新しいモノが創造される可能性が高まる。

2.ワールドワイドなスケールで仕事をしているような雰囲気がオフィスに漂う。これは3にも関わることだけれど、実際にそういう雰囲気がごく自然にあるのは大きな違いが生じる。

3.英語によるコミュニケーションスキルが徐々にアップしてゆく。

ソフィア・クレイドルは、自社のソフトウェアを世界中のコンピューター機器にネット配信することを大きなビジョンとして掲げている。そのためには、自社のスタッフたちが、世界的なスケール感を感じて仕事をすることは何よりも大切だと思う。そういう意味で、海外からインターンシップ生を受け入れる意義は計り知れない。

2005 年 02 月 10 日 : 吉凶の間には

これからの時代は個性というものが問われるような気がしてならない。社員数が多くなると、一見、いろんな個性があるかのように見えるが、実際にはそれらが相殺されて没個性となったりしているように思える。これもアーティストのコラボレーションのようなものかもしれない。

ハイテクベンチャーの場合、新規性のある製品を開発し、それをマーケットに広めるまで、そのテクノロジーのスケールの大きさに比例するかのように、たくさんの時間がかかるものである。

いまや世界中のほとんどのパソコンにはマイクロソフトのWindowsがインストールされている。このWindowsにしても、発売されて数年間は全くといっていいほど売れなかった。

だから、ハイテク製品の場合はそれが売れ出すタイミングを見極めることがとても大切だ。しかも、最悪の場合、売れるまでに何年間もかかるため、辛抱強さ、忍耐力といったものまでもが要求される。このハードルは意外に高いもので、やったことの無い人には理解しがたい事実かもしれない。

でも、ハイテクベンチャーといえども、運良く製品が売れ始めると急成長期に突入するわけで、その時初めて、それまでのことがやっと吉とでたり凶とでたりする。

反面、良いこともある。製品が売れなくて比較的に余力がある時期に、人手がかかる営業や事務、サポートの部分に関していろんな手をうっておけば、事業が拡大しても人数をふやさなくて済むからだ。

例えば、業務プロセスはマニュアル化し、コンピューターができる部分はシステムとして実現しておく。インターネットによる販売システムを構築する。製品のクオリティを最大化し、サポートの頻度を激減させる、などなど。

ベンチャーが瓦解する理由の多くは、急成長に伴う不適切な人材の大量採用に伴うものが多いように思う。日本の場合、もともとベンチャーで働くことに向いていない人が多いのだが、急成長期に背に腹は代えられないとばかりに、間違って採用してしまったりすることも多いと思う。

あまり人を増やさなくても、それを遥かに上回る業績をあげれるビジネスモデルを構築しておけば、人材採用も慎重に実施できる。そうすると、適材適所でない人の問題で、ベンチャー経営がおかしくなるようなことを避けることができるだろう。

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